イタリア語講座 第47回(10/17)講義録

中垣太良

読者諸賢におかれましては、本イタリア語講座についてしばらく音沙汰がなく、ご心配をおかけしたかもしれません。講義は全く健在です。また執筆者を拝命しました私につきましては、炎熇の日々を秋風が吹き送り、ようやく再生しつつあるさなかではございますが、無事生きております。再び書いて行きたいと存じますので、温かく見守っていただければ幸いでございます。

さて、齋藤先生はこのごろ、ゲーテ『ファウスト』・ホメロス『イーリアス』・オウィディウス『変身』・『バガヴァッド・ギーター』といった名韻文たちや、『旧約聖書』・『コーラン』・『アヴェスター』・『維摩経』といった聖典を原文で並行して読むかたわら、スペイン語学の研究に勤しみ、ドストエフスキーの全集にも読書の手を伸ばそうとしているそうです。あまりに人並外れた芸当であり、果たしてその格闘の苛烈さいかほどか、想像を絶するものがありますが、いよいよイタリア語講座のほかにも新規講座の開講が予感され、心躍ります。

講義の劈頭では『コーラン』についての先生の研究の一端が披露されました。手始めに繙かれたのは、『コーラン』のカイロ標準版です。こちらは、西洋の文献学者たちの校訂版に対抗する形で、アラブ世界の学者たちが力を合わせて形にしたものです。この試みがイスラーム研究に与えた影響は少なからず、たとえば井筒俊彦氏の手による日本語訳は当初、『コーラン』の最初の校訂版であるフリューゲル版を底本として用いていましたが、改訳にあたって、カイロ標準版の章節分けも併記しています。続いて紹介されたのは『コーラン』を読むために必要な工具書たちです。まずコーランのアラビア語に特化した近年の辞書、Arne A. Ambros, A Concise Dictionary of Koranic Arabicで、語根「Q-R-’ 」を引きますと、“to recite or read out aloud”とあり、派生語欄にqur’anがあります。さらに、語源欄(!)によると、「Q-R-’」の起源はシリア語のqeryānā “reading; holy sclupture”に遡り、アラム語への借用後、アラビア語に流入してきたのだと説明されていますーーここで、この説明がオーストラリアの文献学者Arthur JeffreyによるThe Foreign Vocabulary of the Qur’ān(1938年初版)に依拠していることが明かされ、同書(Brillによる2006年再版版)も受講生の間で回覧されました。さらりと書き流してしまいましたが、ムスリムにとっては『コーラン』はムハンマドにアッラーが憑依して語った、文字通り「神韻」であり、「語源探究」などはありうべからざるものです。しかし〈記述論的〉視座からいえば、全ての聖典は〈脱聖典化〉decanonizationの対象であり、(周囲を慎重に見渡しつつ行われる)虚心坦懐な探究の対象なのです。引き続いては、Ambrosが用いた主要参考資料の、まず注釈書としてRudi Paret, Der Koran: Kommentar und Konkordanz、そしてこれまた恐るべき書ですが、『コーラン』のテクスト成立過程ーー『コーラン』の「スーラ」(سورة)と呼ばれる114の章が、いかに本来の形から組み替えられたり付加されたりして確立されたものなのかーーを解剖した、Richard Bell, The Qur’ān: Translated, with a critical re-arrangement of the Surahs(2 vols)が紹介され、また毛色の違った工具書としてAbdul Mannân Omar, The Dictionary of the Holy Qur’ânが差し出されました。本書は各語根から導かれうる意味を可能な限り列挙し、各項目にまとめた(使いこなすには努力が必要なものの)労作です。ここまで書いてきて、こうした著作の紹介は、単に先生の研究成果の披露というにとどまらず、「腹をくくる勇気を持て」と発破をかけられているようにも感ぜられてきました。

さて、話は『君主論』の講読に戻ります。今回は第3章における以下の範囲を扱いました(番号はInglese版による)。

[21] Debbe ancora chi è in una provincia disforme, come è detto, farsi capo e difensore de’ vicini minori potenti e ingegnarsi di indebolire e’ potenti di quella e guardarsi che per accidente alcuno non vi entri uno forestiere potente quanto lui. E sempre interverrà ch’e’ vi  sarà messo da coloro che saranno in quella malcontenti o per troppo ambizione  o per paura: come si vide già che gli etoli missonò e’ romani in Grecia, e, in ogni altra provincia che gli entrono, vi furono messi da’ provinciali.

【拙訳】(自分たちとは、言語・風習・制度などが)異なる地域に行く者(君主)は、すでに述べられたように、近隣の弱小勢力の首領あるいは庇護者に自ら成り、またその地域の勢力を弱体化させることと、何かの拍子に彼(君主)と同等の能力を持つ外国勢力がその地域に入ってこないよう用心することに努めねばならない。そうした勢力が、不満あるいは行き過ぎた野心あるいは恐怖心のために、その地域の住民によって招き入れられるという事態は、つねに起きることである。アイトリア人がローマ人をギリシャに招き入れたように。そして、ローマ人が侵入した他の全ての地域についても、(ローマ人は)現地の住民たちによって、その地域に引き入れられたのである。

今回。問題となったのは、“una provincia disforme”の訳についてでした。河島英昭訳はこれを「さまざまな差異のある地域」(岩波文庫版22頁)とし、訳注で、「ここでいう『差異のある地域』はイタリア」である、と述べています。つまり、ある一定の広さを持つ地域(ここではイタリア)における多様性と解しているわけですが、一定範囲の地域に「さまざまな差異」が存在するのはあまりに当たり前の事実で、煙に巻かれるようであり、マキャベリの明晰な論じ方とも合いませんし、何より後に出てくる、アイトリア人によるローマ人の招来の具体例と繋がりが悪い。先生曰く、ここでは「自分達とは異なる文化を持つ地域」のように解するのが妥当であろう、と。

定評ある訳ですら、肝心の部分の解釈となると、テクストの襞に入り切れていない、ということはままあります。人間の仕事ですから、間違いはつきものですけれども、しかしその間違いに反応する敏感さは、一度徹底的にテクストと伴走した人間でなければ持ち得ない、のです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です