『原典黙示録』第19回(8/1) 講義録

『原典黙示録』第19回 講義録

田中大

――全てはフランス革命から始まった。

今回の講義の主題はこのように切り出された。まず繙かれたのはDale K. Van Kley, The Religious Origins of French Revolutionである。本書は、ジャンセニスムこそがフランス革命を引き起こした思想であったということを論じている。一般的にはフランス革命は啓蒙思想の影響によって生じた事件であると考えられているが、これはそうした通説に一石を投じた研究である。この説の具体的内容やジャンセニスムという思想についての考察は今後の講義においてなされるであろうが、今回の講義で論じられたのは、より普遍的な、思想・信仰と革命との関係性についてであった。

講義においてまず指摘されたのは、「思想的なものさえあれば人が集まって武装して革命が起こる」という考えは誤りであるということである。思想的なものだけでは革命は起こせない、すなわち、ジャンセニスムという信仰や『資本論』という書物だけでは革命は起こらないということだ。では思想や信仰が革命を引き起こすために必要なものとは何か。それは「党」である。そしてこの党というものが生じたのがフランス革命であったのだ。思想の政治化ないし政党化、これが起きたのがフランス革命であり、これこそがまさしく近代の始まりであった。

マルクスの著書を読んだだけではひとは共産党員にはならないのである。共産党員になる人間は、思想ではなく党派に共鳴しているのだ。そして思想が党を生じせしめるのを媒介するのがイデオロギーである。換言すれば、イデオロギーというものは党派化された思想であるということもできる。己の名の下に思考することが自由であるとするならば、彼らは党派の名の下に思考し、自由を代償にしてかりそめの「救済」を得る。ゆえにイデオロギー闘争の時代においては、個人の思想ではなく党派の思想が問題となる。

思想を学ぶのは他者と対話するためであり、政治を学ぶのは生き残るためである、そしてこれらが両方揃って初めて人間である、と先生は言う。生き残ることしか学ばぬ人間が奴隷になるのみであることは言うまでもないが、理想に魅せられるあまりリアリズムを忘却してもならないのである。ひとはパンのみによって生きるのではないが、パンがなければ生きられないということを忘れてはならず、自らの力でパンを獲得する逞しさをもたねばならない。しかし、これら二つの営為のいずれも人間にとって不可欠であるという先生の言葉は、二つの異質な原理を強引に結び合わせたものとして理解されてはならないだろう。これらは二つのものでありながら、透徹した精神においては整った一つの形相をなしている。このような精神の境地が真の〈リアリズム〉なのではあるまいか。

One thought

  1. 田中大君

    拝読しました。

    近代は物質的進歩と政治的権利をもたらしましたが、思想を党派化して知識人を不幸にしてきたように思います。

    私たちは近代のよいところを見倣い、あしきところから反省を引き出して、私たちの<ポストモダン>を築いてゆきましょう。

    その見地からすれば、戦後体制の克服を「戦後レジームからの脱却」と呼称することには、やはり陥穽があります。フランス革命と完全に同じにせねばらないという思いなしを生じかねないからです。

    なお、イデオロギーにとって「党」が重要であるということについて言いますと、他の共産主義者たちが階級問題に主に取り組んでいたのにたいして、スターリンは民族問題と党組織を得意分野としており、それが彼の強みになったということが指摘されています。(横手慎二『スターリン』)

    不幸な知識人は、経済的・暴力的・イデオロギー的強制を駆使して、他者も不幸にしようとします。

    「誰よりも民衆を愛した君は
    誰よりも民衆を軽蔑した君だ」
    (芥川龍之介 「レニン」)

    今の日本の「知識人」が、このような憎悪に満ちた左翼権威主義者と、それに盲従するアイヒマンばかりになっていることを、私は目の当たりにしてきました。

    外患だけでなく、内憂という点でも、今の日本は危機的な状況にあるといわざるをえません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です