イタリア語講座 第64回(2/21)講義録

中垣太良

わたしたちは気付かぬ間に一山飛び越えていました。『君主論』の山場、第3章(“DE PRINCIPATIBUS MIXTIS”「混合した君主国(の国制)について」)を踏破したのです。本章に入ったのが昨年の5月23日ですから、9ヶ月もの旅路になります。

原文(メログラーニ版)にして10頁。9ヶ月とは迂遠な旅路でしょうか? これを単に語学的な問題と見るなら、そうでしょう。「しかし、それは量としての時間ではないのだ。精神が水平線と深海とを行き来する時間なのだから」とわたしは辿々しく答えるに違いありません。テクストの〈解剖〉とはひとたびそこにメスを入れた瞬間にわたしたち自身の血管がテクストに伸びてゆくような奇跡であり、そこでわたしたちは筆者の精神を〈追体験〉する。いやそのような体験が可能な書物だけがまさしく〈テクスト〉と呼べるのでしょう。では、『君主論』はいかなる〈テクスト〉か。

マキャベリは『君主論』で政治哲学を論じようとしているのではありません。歴史家としてそれを記しているのでもない。彼はロレンツォ・デ・メディチへの献呈という形をとり、あくまで実務家として、政治現場での経験と該博な歴史の知識もて君主を指南しているのです。当時(献呈は1515年)のイタリア半島には、大小はあれど「国」はなく、せいぜい「藩国」とでも言うべきものが群れなしているに過ぎません。しかし半島の外に目を向けてみると、フランス王国と神聖ローマ帝国とが、ヨーロッパの地政学的重心を左右するまでに伸長しており、もはやイタリア半島とはこの両者にとっての陣地取りの舞台に過ぎず、ヨーロッパの臍の緒に過ぎなかった。「イタリア人は戦争について理解していない(gli Italiani non si intendevano della guerra)」と言刺したルーアンの枢機卿に対しマキャベリは「フランス人は政治について理解していない(e’ Franzesi non si intendevano dello stato)」と返答したーーここでは国(藩国)をいかに治めてゆくかということに話題の焦点がありますから、単に「国(藩国)」とするよりも「政治」と訳すほうが正鵠を射ています(やはりメログラーニ版の現代イタリア語訳では“politica”、Муравьева Галина Даниловнаのロシア語訳でも“поли́тика”を当てています。個人的にはPhilipp RippelによるReclam版ドイツ語訳の“Staatskunst”、これは「国家術;統治術」といったところでしょうか、にも工夫を感じました)ーーそうですが、潮目は変わって「国(藩国)」から「国家」へ、やがて来る主権国家体制への最初の鐘はすでに鳴らされてしまったのです。哀れ、マキャベリ自身はそうした周囲の地政学的状況の変化に対して、気づきながらもどうすることもできなかった。彼は書くしかなかった。あたかも一縷の望みにかけているように演じ。異様に黒黒と透徹した瞳は自らの最期をすでに予感しつつ自らの理知を鋳出した。数世紀を経てその鋳型だけが取り出され、憎しみを鋳出すために用いられるとは予想だにしなかっただろうけれども。

長すぎる独言でした。さてこの〈追体験〉の旅路は『君主論』の読解に起点が置かれているわけですが、その道筋は『君主論』の頁を縫うのみならず古今東西の古典に必然的に、無数に伸びていきます。冒頭、「気付かぬ間に一山飛び越え」たと表現したのは、書棚に指を伸ばす先生の姿に「今回は何が出てくるのだろう」と目を輝かせている間に(これはわたしの悪癖であって、自分の指でも道筋を編んでゆけ、夢を生きるために人生を生きねばならないのだからと自らを叱咤しながら毎週の講義に参加しています)いつの間にか読解の山場を乗り越えていた、というように感じたからです。こうした「ああ、読めるのだな」という確信を得ることも、読書力の一つの源泉なのではないでしょうか。「永遠に読めないのではないか」とがんじがらめになった者にとっては、特に。

これは講義録ではないかもしれません。しかしやはりエイ!と読みエイ!と書くのを続けることによってしか、同時に踏みしめられる無数の道筋を一息に辿ることはできないようです。その途上で間投詞の螺髪が解かれ一つの〈文体〉の織糸となるのだろうか。それは筆記者同士の相互作用のみぞ知ることなのでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です