『原典黙示録』第20回(8/8) 講義録

『原典黙示録』第20回 講義録

田中大

今回も前回に引き続き、ジャンセニスムこそがフランス革命の背後にあった思想であったと論ずるDale K. Van Kley, The Religious Origins of French Revolutionが参照された。では、このジャンセニスムとはいかなる思想であったか。ジャンセニスムという名称はアウグスティヌスに傾倒したカトリック神学者コルネリウス・ヤンセンに由来し、またその思想内容も彼の神学に多くを負うのであるが、宗派としては彼の死後に出版された著書『アウグスティヌス』が巻き起こした論争の中で形成されていった。ジャンセニストは神の恩寵にこそ救いがあるとするアウグスティヌス主義に立ち、イエズス会をたびたび批判したため当宗派と激しく対立した。また、この宗派の拠点となったのがポール・ロワイヤル修道院である。ここではジャンセニスムの代表的な思想家であるブレーズ・パスカルや、現代フランス語の礎となった文法書Grammaire générale et raisonnée contenant les fondemens de l’art de parler, expliqués d’une manière claire et naturelle(通称『ポール・ロワイヤル文法』)の著者アントワーヌ・アルノーとクロード・ランスロも学んでいた。こうした高名な学者が所属していたポール・ロワイヤル修道院はその教育水準の高さによって名声を得たものの、やがてフランス国王、ローマ教皇の両方から敵視されることとなり、18世紀の初頭には閉鎖され、建物も取り壊されてしまう。このような歴史的経緯をもつジャンセニスムは、フランス王権と、その権威を王権神授説によって理論的に支えたイエズス会とに対立する宗教勢力として、フランス革命勢力と結びついたのである。

エーコは『薔薇の名前』から『フーコーの振り子』に至るまで、秘密結社に着目して作品を描いてきた。講義の中で先生が指摘したように、それらの作品は歴史の裏側に着目しているという点で『プラハの墓地』に通じるが、しかしペダンティックな一種の「知的エンターテインメント」として書き上げられた作品であったという点において、この遺作とは全く性質を異にしている。彼が後半生の多くの時間をユダヤ問題の探究に捧げたことは、『プラハの墓地』以前に書かれたいくつか彼のテクストや講義録を読めば明らかであるが、彼はこうした問題を探究してゆく中で、それが単なる娯楽として取り扱われるべきではない、切迫した問題であったということを見抜いた。そうした彼の思想家的探究と小説家的技術の集大成として結実したのが『プラハの墓地』であった。彼は単に楽しむための物語としてでも、単に知識を与えるための記事としてでもなく、追体験するためのテクストとして本作を書き上げた。彼が入念な仕掛けを施して描き出した問題は、偽善的な三文道徳を奉じている人間には決して理解できまい。彼らは自分たちが断罪すべき悪人をこのテクストの中に見出すだろう。しかし、まさしく彼らのような存在こそが、こうした問題をより複雑で悲惨なものにしているのである。

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