8月24日から始まったラテン語講座は大学一年生を中心として賑わいを見せています。文法を一年以内に終わらせ、直ちに講読に移行する予定ですが、現在は文法の学習に入る前のガイダンスが行われています。
十分な文献紹介から始まるのが原典語学の流儀ですが、ここに実利主義・効率主義とは一線を画する姿勢の一端が表れています。原典語学は文法が分かればそれで良しとするのではなく、文化は全て「翻訳」によって伝わるとの考えの下、言語の学習を文化の総体的理解の入口と捉えています。古典ギリシア語講座開講の際には、現在手に入る文法書・辞書にはいかなるものがあり、それぞれいかなる評価を得ているのか、ギリシア史・ギリシア文化を概観するにはいかなる書物を読めば良いか、言語学的な研究としていかなる著作があるか等のことにつき、少なくとも一箇月を費やして解説されました。一口に辞書と言っても、古典ギリシア語からビザンツ帝国のギリシア語まであります。このような時期を経ることで、我々はギリシア語を学ぶことの意味、ギリシア文化の及ぼす射程を理解し、晴れて sentimental journey に乗り出すことが出来るようになりました。
今日の講義ではラテン語の辞書を眺めつつ、ギリシア語等と比較した時に見えるラテン語の特質についてお話がありました。一つは語彙に関するものです。その子孫を含め、ラテン語は語彙数が少ないことを特徴としています。それは複合語を生み出す造語能力と関係があり、ドイツ語・ロシア語などは造語能力が非常に高いため、それだけ語彙数が増えることになり、ラテン語はせいぜい数万語であるのに対し、ドイツ語・ロシア語は優に十万を超えます。ロシア語では「人間嫌い」を человеконенавистничество といい、複合語ですが、ラテン語にはこの種の造語法がありません。また方言が少ないという特徴も挙げられるでしょう。ギリシア語は文献ごとにさまざまな方言で書かれているため、諸文献の読解に資する辞書を作ろうとすると浩瀚なものとならざるを得ません。
また文法に関しては、インド・ヨーロッパ語族の古典語としては例外的に簡単であると言えます。反面、語順の自由度があまりに高く、いざ読んでみると何を言わんとしているのか分からないという問題があります。これについて、「漢文と同様、文全体の意味が分かって始めて部分の意味が分かる」との指摘がありました。また「作者それぞれが独自の文体を駆使して書いているため、その文体に慣れる必要がある」という注意もありました。
このようにして始まる原典語学ですが、一方でこれこそ最も実利的で効率的であるとも言えます。というのは、ともかく「読む」ことに目標を絞り、そのために何が必要かという問題意識が貫徹しているからです。教科書に書いてあることを何から何まで覚えるのではなく、何がどう重要で、何は後回しにして良いか、先生の五十年来の経験に基づいて注釈を加えて下さいます。一人で学ぶことがいかに苦難に満ち且つ無意味であるか、先生は時々口になさいますが、参加者諸君は最良の手ほどきを得、仲間とともに、「学ぶ」とはどういうことかを一から学んでゆけることでしょう。
(三村)