『原典黙示録』第30回(10/24) 講義録

『原典黙示録』第30回 講義録

田中大

本講義も第30回目を迎えた。今回の講義では前回示された方法論に基づき、第二章の「語り直し」が行われた。前回の講義においても指摘されたように、シモーネ・シモニーニという男には身寄りもおらず、彼は誰にも必要とされていない人間である。しかし、彼はそれゆえに時代と直接に結びつき、時代が彼をして本作において取り上げられている手記と、偽書『シオン長老の議定書』を書かしめるという事態が生じたのであった。ここで先生は二つの言葉を引く。一つ目は、「必要は発明の母」Necessity is the mather of inventionという言葉である。そしてこの『プラハの墓地』という作品においては、この言葉は転倒した形で現れる。すなわち、「不必要も発明の母」Unnecessity is the mather of invention――この場合のinventionは「でっちあげ」と訳してもいいだろう――ということになる。これはシモーネ・シモニーニという男の性質と彼の残したものとの関係の必然性を端的に表現しており、エーコの仕掛けはこの一言で鮮やかに可視化されたのであった。

また、シモーネ・シモニーニは一般人であり、歴史の表舞台で華々しく活躍したような人間ではない。歴史の表舞台にいる人間と言うのは基本的には上流階級の人々であり、通俗的な歴史はこうした人々の活躍を綴り合せて描き出される。しかし、アナール学派による指摘を待つまでもなく、それは歴史の一面の解釈に過ぎないのである。シモニーニはまさにこうした歴史記述によっては取りこぼされてしまう、歴史の影に隠れた俗物なのであるが、しかし彼はそうした人物であるがゆえに、20世紀の歴史を大きく動かすことになったのである。ここで先生が引いた二つ目の言葉は、noblesse obligeである。この言葉も、『プラハの墓地』と言う作品においては転倒した形で現れる。すなわち、snoblesse obligeである。本作はまさに俗物の強い憎しみの感情と生き残りにかける意地が、歴史を揺すぶる偽書を生み出すまでの顛末を描いているのである。

シモーネ・シモニーニの憎しみを形成した原体験であったのは、彼が幼少期に幾度となく祖父から聞かされたユダヤ人の話であるが、その中に登場するのがキリスト教徒に対して瞋恚の炎を燃やし陰謀をめぐらすユダヤの老人モルデカイである。以前の講義で先生によって明かされたように、モルデカイという男は『旧約聖書』の『エステル記』にも登場する。彼はユダヤ人虐殺を目論んだペルシア帝国宰相ハマンへの復讐を成し遂げた男である。しかし、今回の講義で先生が指摘したのは、モルデカイという名に纏わる表象的意義が、これだけに止まらないということである。この作品に直接は登場しないものの、隠然たる存在感を全編にわたって醸していた影の主人公カール・マルクスのヘブライ語名は、モルデカイなのであった!

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