『原典黙示録』 第31回 講義録
田中大
『プラハの墓地』の読者たる資格があるのは、この『プラハの墓地』というタイトルを見た瞬間に、これまで本講義にて取り扱ってきた全てのことがらが一瞬でわかる者だけである。そして先生が言うようにそれこそが読書力である。講義の本題に入るにあたり先生が取り出したのは、『薔薇の名前』であった。本作の序文には引用元が示されていない以下のような引用文がある。
“en me retraçant ces details, j’en suis à me demander s’ils sont réels, ou bien si je les ai rêvés”(細かいことをたどり直すにつれて、それらが現実であったのか、それともそれらを私が夢見たのであったのか、疑わしくなってくる。)
先生は、これがジェラール・ド・ネルヴァルの『シルヴィ』から引かれた一文あることを指摘し、講義の中で実際に繙かれたネルヴァル全集の『シルヴィ』第7章には確かに同じ一文が存在したのであった。また先生が強調したのは「夢は第二の人生である」というネルヴァルの言葉である。この言葉は、まさに『プラハの墓地』という小説の仕掛けの根底をなしているのだ。
張り巡らされたからくりの糸が舞台の裏でいかに繋がっているのかを見抜くためには、以上のようなテクストを予め読んで知っておくことはもちろんのこと、それらを即座に結び付ける連想力が必要不可欠となる。こうした連想は無秩序に発散するの類のものではなく、〈記述のレベル〉に正確に秩序付けられ収束するストイックなものである。そしてこの連想力のみが、無限の〈間テクスト系〉を渉猟する導きの糸となり得る。
こうした力を読者に要求するほどの慎重な記述を以て、エーコは危険なテーマを見事に取り扱っている。今や建前は肥大化して、言葉に多くの桎梏が課せられつつある。世に横行するのは体制の名において語られる言葉、偽善的理念の名において語られる言葉であって、これらにそぐわない言葉は抹殺されようとしている。エーコがやってのけたのはこうした桎梏からの「縄抜け」である。先生は彼の言葉を汲み尽くし、現代日本の文脈に沿って真正面から語り直す。それは『プラハの墓地』の注釈という形をとっているが、先生自身の名において語られる言葉であり、桎梏を粉砕するだけの威力をもつ。
この講義においては、われわれ自身がこうした言葉の威力を受け止め、自らも同じだけの威力をもった言葉を得るための鍛錬がなされている。と同時に、講義における先生の言葉はそれ自体、「弱さ」が暴威をふるう時代を強かに生き残らねばならないわれわれに対する先生からの叱咤激励なのである。