『原典黙示録』第35回(11/28) 講義録

『原典黙示録』第35回 講義録

田中大

イデオロギーとは、「自ら陥ることを望む者の陥る罠」(『おんぱろす』《§. I-[B]》)である。進んで軛をつけようとしない者に対して強いて軛をつけるには暴力をもってそれをするほかはない。だからこそ共産主義者たちは強制収容所を必要としたのである。イデオロギーというものそれ自体が、その必然的帰結として暴力を要請するといってよい。これは昨今の状況を鑑みても明らかである。イデオロギーは、暴力を含めて現実に様々な力を行使するための「身体」を必要とする。それが組織である。イデオロギーは新たな組織の創出や、既存の組織の支配を通して、身体としての組織を得る。その絡み合いが、様々な〈制度〉や〈体制〉を形作る。

先生は「いかに組織に属さないか」ということを常に問題としてきたと言う。この先生の言葉から私が想起したのは十代の頃の先生のエセー『PRELUDE』の次の一節である。

〈社会〉への関心の在りようを徹底して絶つことによって、〈状況〉をあくまでも内的なものにすりかえ得る契機を得た。(I-10)

蓋し社会の中に自己を適切な仕方で定位するには、このような〈体験〉が必須であったのだ。そしてひとたびこうした〈体験〉を経た精神には、私がここまで書いてきたようなことは自明であったことだろう。現に先生の主宰する原典研究所は〈体制〉――これは戦後日本の〈体制〉を指すと同時に広く現代世界全体の〈体制〉をも指す――の中にあって、あらゆるイデオロギーから、かつあらゆる組織から独立した研究所である。これは言うまでもなく端的に〈自由〉な探究のための必要条件である。そしてそのために、原典は『プラハの墓地』の講読が唯一可能な〈場〉たり得ていると言えるだろう。

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