『原典黙示録』第43回 講義録
田中大
橋本勝雄訳『プラハの墓地』(東京創元社)の帯には以下のような紹介文が書かれている。
“世界的大ベストセラー『薔薇の名前』のウンベルト・エーコが描く憎しみと差別のメカニズム”
この「憎しみと差別」の主体は、これまでの講義で先生によって論じられてきたとおりである。この物語は、世界史が現在の状況へと至る経緯をそのまま主題としているために、今やその主題について十分に理解している我々は、エーコが作中のあちこちに設置した絢爛な舞台装置に目を奪われないように用心して読みさえすれば、容易にその核心に迫ることができる。
また、野谷文昭訳『予告された殺人の記録』(新潮社)の帯には以下のような作中の一文が引用されている。
“宿命が彼に名指しで与えた場所と任務は何だったのか”
宿命によって場所と任務を与えられた「彼」とは誰なのか?――先生はこの問いをテクスト外の状況に向けて問い直す。そしてその問い直しは、忽ちこの物語の全体を記述論的に異化する。これによって物語はあたかも澄徹した明鏡の如くに、現在の状況をありのまま映し出すのである。
以上の二つのテクストの読みから、これまで起こったこと、今起こりつつあること、そしてすぐにでも起こるはずのことが、ひとつの焦点の下に明瞭な歴史像を結ぶ。これこそが『原典黙示録』であり、その結末が【ワシントン(D.C.)の墓地】なのである。
『原典黙示録』の講義の場で、私がこうした事態の全貌を知りつつあるときには、それと同時に、「では、そうした世界をいかに生き抜くべきなのか?」という実践の問いが常に私に向かって突き付けられることになる。イデオロギーやそれと共犯関係にある体制の中に組み込まれずに、ただ与えられた役割を果たすのみの次元から脱して生きるためには、己の言葉を得るしかない。そして、己の言葉をもつということは、実践的な範疇においては、己の居場所を自分で確保するということと等しい。これは己の言葉をもたんとする者の不可避の試練である。そしてまさにこの試練に打ち克った真の自由な精神によって切り開かれた場こそ、原典研究所なのであった。