『原典黙示録』第53回(5/8) 講義録

『原典黙示録』第53回 講義録

田中大

前回の講義録にも記したように、『プラハの墓地』は単純な物語storyの形ではなく、重層的な筋plotの形によって語られる。こうした語りの構造をもつこと自体は文学作品としてさほど珍しくはないが、この作品に特徴的であるのは、作者のエーコがこうした構造にどこまでも自覚的に記述を遂行しているということである。この作品の本文は、語り手による編集によって多少整えられながらも、基本的にはシモーネ・シモニーニの日記という形で、筋としての構造が明確に浮かび上がるような仕方で提示されている。

記憶を失ったシモニーニは戸惑い、手当たり次第に自己の内を探り、そして書く。彼は想起することで書き、書くことで想起する。そうして書かれた日記には、自らの意識の中に探り当てられた感情が、感じ取られた瞬間にそのまま書きつけられている。感情というものは現在形でしか書けない、と先生が言われた通り、これらの記述は、純粋な現在形の記述として純粋に感情を表出している。このあまりに直接的な生まの感情の露出は、現代の読者の精神を揺すぶらずにはおかない。そして彼の日記を縁取る語り手の語りは、あくまでその純粋性を保つようにしながら、読者を導いてゆく。

『シオン長老の議定書』は偽書であるにもかかわらず、それは現実の歴史historyに展開された陰謀plotとして人々に受け入れられた。それに対して、エーコは『プラハの墓地』という作品の形で、虚構の物語storyに展開された筋plotとしての世界を緻密に構築した。そこにおいて読者は、人間の意識における現実性と虚構性の揺らぎと混じり合いの中に引き込まれ、囚えられてしまう。しかし、そこから抜け出して世界を正確に見据えることができるようになったときには、彼は本来の意味で自由人となっているのである。

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