一月の世界史講義でも仏教についての考察が続いています。言語の方面ではエジャトンの所謂 Buddhist Hybrid Sanskrit という概念に触れ、同氏編纂の辞書等が紹介されました。思想史的な面ではパーリ仏典や漢訳の経典・論書の校訂本、時には写本の影印版を見つつ、原典とはいかなるもので、どのように伝来し出版されてきたかを学びました。
以上は今月の話題のごく一部に過ぎません。報告がかくも疎漏に終わるのは、一にわたくしが手控えを残しておらぬことに因り、二にわたくしの記性の薄弱なるに因りますが、それにも増して、わたくしの記憶を覆い尽くすような言葉が先生の口から発せられたことに因ります。
「ぼくは毎日肩がもげそうになるくらい大量の本を持ってきたり持って帰ったりしているが、授業で君たちに話をするたびに、肩の荷が下りてゆくように感ずる。」
キティオンのゼノンは全財産が滄海に没したことを聞かされた時、泰然自若、「もっと身軽になって哲学せよと、運命が命じているのだ」と言ったそうです(セネカ『心の平静について』)。人は知識を蓄えることに汲々としますが、何のためでしょうか。
「この世で得られることは限られている。人生与えた者勝ちだ」ともおっしゃいました。知るのは伝えるためであり、伝えるのは知を更に大きくするためです。
教学相長ずとはよく言われます。教える側の成長は学ぶ側より大きい。しかしそれを学ぶ側に告白する人は多くありませんが、孔子は「予を起こす者は商なり」と言いました。仲尼に比するのは先生の憚る所でありましょうが、かかる姿勢の重要性は千歳を経ても変わらぬものです。互いに師となり弟となるのは、教室の中に限られず、人間本来の在り方はこのようなものなのではないでしょうか。
今どんな本を読んでいて、どんなことを考えているか、わたくしは友人と会うたびに話すようにしています。不敏なりと雖も躬行に努めたいと思うが故です。
(三村)
キティオンのゼノンのエピソードを読んで、ヨブがサタンの試みによって子供たちと全財産を失ったときに礼拝する場面を思い出しました(ヨブ記1章の最後)。
「私は裸で母の胎から出てきた。
また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。」
知解も信仰も、かくも堂々としたアパテイアを以って臨んでこそ精髄に到達できるものでしょうか。哲学とは魂を肉体の牢獄から開放して純粋な認識に至ることである、という『パイドーン』におけるソクラテスの主張がますます味わい深く感じられ、デカルトが「必然を徳とせよ」というストア派の標語を受容したことも納得がいきます。
ソクラテスといえば、以前の講義紹介で取り上げた場面ですが、『エウテュプローン』で彼は同胞市民に対する自身の態度を「フィラントローポス」(人間愛、親切)と特徴づけ、「誰かが私の話を聞くつもりなら、報酬なしでというだけではなく私のほうから喜んで支払って、全ての人に惜しみなく話をする」と言っています。
「この世で得られることは限られている。人生与えた者勝ちだ」
「知るのは伝えるためであり、伝えるのは知を更に大きくするため」
私は非才ゆえ与えられるところは多くありませんが、今後は与えられるだけでなく与えるなかで自分自身も成長していきたいと肝に銘じました。