『原典黙示録』第56回 講義録
田中大
講義の初めに、或るフランス文学者のフロイトへの言及が参照された。
フロイトの夢理論によれば、自分の見た夢を思い出して、そこから自由な連想を働かせ、思い浮かべたイメージや言葉を点と線で結んでゆくと、何本かの線が交わる交差点のようなイメージや言葉があらわれるという。フロイトはこの交差点的なイメージを「多元的決定」の「結節点」と名付けている。
そして『プラハの墓地』において、この「結節点」をなすのがダッラ・ピッコラであると先生は指摘される。彼はシモーネ・シモニーニの記憶や思考の連鎖が交わる記憶の要石であると同時に、シモニーニの生きる世界の要石であって、この要石が消えたとき、小説の世界は夢のように果敢なく瓦解してしまうのであった。
先生曰く、この小説自体が夢なのである。博覧強記のエーコが描き出す世界は極めて精緻であり、現実ではないがどこまでも現実に即している。シモニーニの存在やその周辺の出来事でさえ、現実と見紛いかねないほどである。しかし、この世界にいくら没入しても、作品を読み終えた者は、この物語を夢として、すなわち自らの生きたもう一つの現実として改めて認識することになる。それと同時に、彼の生きている現実はもはや以前とは別のものとして彼に対して現れてくるのである。
この作品は、先生の指摘の通りまさに「夢は第二の人生である」Le rêve est une seconde vie という言葉を体現している。この言葉は、ネルヴァルが『オーレリア、あるいは夢と人生』Aurélia ou le Rêve et la Vieの冒頭に書いた言葉である。ここでのネルヴァルの言葉の引用は恣意的なものではない。『プラハの墓地』第三章《マニーの店》は、フロイト本人が物語の中に登場する重要な章であるが、そこで唐突にネルヴァルへの言及がなされているのだ。正確な読解のためには、一言の些細な手掛かりであっても決して見落としてはならないのである。
目の前のテクストを正確に読むためには、間テクスト系の宇宙を渉猟し尽くしていなければならない。しかしまた、目の前のテクストを正確に読もうとするところから、間テクスト系の宇宙を渉猟することは始まるのである。この円環を前にしてためらってはならない。どのような生であれ、そこに飛び込むことなしには何も得ることができないのだから。