『原典黙示録』第62回(7/10) 講義録

『原典黙示録』第62回 講義録

田中大

キリスト教の歴史において、信仰の〈制度化〉の土台を作った思想家たちが教父であるといえよう。彼らは「異端」を論駁し、それと同時に自らの思想を鍛え上げた。その思想はやがて「正統」という巨大な制度の一部となって聳え立つことになる。教父学の基本的な研究書としてまず紹介されたのは、B. Altaner & A. Stuiber, Patrologieであり、また現時点で最も詳細な研究書として、J. Quasten, Patrology(全4巻)が参照された。これはアレクサンドリアのクレメンスの時代からラテン教父文学の黄金期に至るまでの期間に活躍した教父たちについて個別に概説したものである。

彼らの言葉もまた、丸腰で挑んで理解できるものではない。ここで紹介されたのは、教父の言葉を理解するためのギリシア語辞典G. W. H. Lampe(ed.), A Patristic Greek Lexiconであった。代表的なギリシア語辞典としては、最も基本的な古典ギリシア語辞典H. Liddel & R. Scott, Greek-English Lexicon(所謂Liddel-Scott-Jones, LSJ)や、定番の新約聖書ギリシア語辞典W. Bauer et al., Greek-English Lexicon of the New Testament and Other Early Christian Literature(所謂Bauer’s Lexicon)が存在するが、本書はこれらよりもさらに後の時代の「教父ギリシア語」を対象とする辞典である。

ここで試みに、先生は『おんぱろす』《§. II-[l]》においても論及されている“οἰκονομία”という語の意味について、それぞれの辞書を実際に参照する。この語は一般的には「家政」という意味で用いられ、economyの語源となった語であるが、キリスト論の文脈では「受肉」という意味で理解せねばならないこともある。まずこの語をLSJで引くと、第一義として“management of a household”とあり、その他にも “direction”“arrangement”といったそこから派生した一般的な語義が掲載されているのみである。次に先生はA Patristic Greek Lexiconを引く。するとそこには、“management”といった一般的な意味に加え、教父文献の文脈における特殊な語義やその用例が数頁にわたって掲載されており、その中にわれわれはようやく“Person of Word incarnate”という語義を見出すことができたのであった。「正確に読む」ためには、言葉に対してこれだけ真摯に臨まねばならない。

教父の時代の後にはスコラ哲学の時代が始まるが、スコラ哲学を大成したかの碩学トマス・アクィナスの主著『神学大全』Summa Theologiae――一般的な全5巻本に加え、貴重な全1巻の豪華特装本――や、彼のテクストを読むためのラテン語辞典R. J. Deferrari et al.(eds.), A Lexicon of Saint Thomas Aquinasがここで参照された。以前の講義でも言及されたその師アルベルトゥス・マグヌスと同じく、アクィナスはドミニコ会士であった。托鉢修道会と呼ばれるドミニコ会、フランシスコ会はいずれも13世紀初頭に設立された。ドミニコ会の修道士はしばしば異端審問官に任命され、カトリックのイデオロギーの守護者となったが、フランシスコ会は清貧を理想として掲げたために莫大な富を有したバチカンと次第に対立してゆくことになる。こうした両者の緊張関係を背景として、14世紀前半のとある修道院で起こった殺人事件を描いたのがエーコの『薔薇の名前』であった。その直後の14世紀後半には、教会大分裂、ウィクリフやフスの改革運動が起こり、またヨーロッパ全土でペストが猛威を振るう。そしてこの混乱の極みの時代を乗り越え、ヨーロッパはルネサンスの時代に入っていくことになるが、その後16世紀に入ると宗教改革が起こる。プロテスタントに対抗して、カトリック勢力からはイエズス会が成立、異端の弾圧も強化され、魔女狩りと宗教戦争の時代へと突入する。その後、啓蒙の時代を経てフランス革命が生じるが、革命政府は教会と対立し、その財産を没収した。ここからバチカンの受難の時代が始まる。1861年にはイタリアが統一し、1870年に始まる普仏戦争でローマ教皇領を守護していたフランスが敗北したため、バチカンはイタリア王国に併合されることとなった。ここに始まるイタリアとバチカンとの激しい対立は60年ほども続き、1929年にムッソリーニ政権との間に結ばれたラテラノ条約をもってようやく解決する。この条約によってイタリアとバチカンの国境が画定され、バチカンは主権を取り戻し、教皇領没収の補償として巨額の賠償金を得た。先生は、そこにバチカンが信仰の総本山から内容においても形式においても著しく性格が異なるものへと変わってゆくことを余儀なくされた要因があると洞察する。このことについてはまた次回の講義で詳細に論じられるだろう。

先生曰く、鉛筆ほど重いものはない、書くためには全世界を相手にせねばならないから、と。同じように、記述論的には、価値あることがらについて読むことも、聞くことも、語ることも、全世界を相手にすることに他ならないだろう。この『原典黙示録』は、全世界の重みを確かに担って行われている。これは途方もない営みであるが、しかし本来これだけのことをしなければ、何を語ろうが無意味なのだ。語る価値があることだけを語るためには、ここまでせねばならないのである。

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