『原典黙示録』第66回(8/7) 講義録

『原典黙示録』第66回 講義録

田中大

ユダヤ一神教の起源は何であったのか。これが今回の講義を貫く問いである。この主題は以前にも簡単に論及されていたが、今回はここまでの講義の蓄積の上に立って、より深いレベルで探究がなされることとなった。この端緒の問いから問い進んでいく過程をつぶさに辿っていこう。

まず参照された研究書J. K. Hoffmeier, Akhenaten and the Origins of Monotheismは、エジプトのアテン信仰にその起源を見ている。すなわち、アメンホテプ4世の宗教改革により、エジプト王国では一時的にアメンではなくアテンが信仰されるようになったわけであるが、当時エジプトに住んでいたユダヤ人たちがその影響を受け、出エジプト後にもその信仰をもちつづけ、深めていったというわけである。これはフロイトが『モーゼと一神教』Der Mann Moses und die monotheistische Religionにおいて唱えた説でもある。ここで先生がヒエログリフ辞典を手に取る。ここで原典研究所所蔵の初期エジプト語からヒエログリフに至るまでの包括的なエジプト語大辞典A. Erman & H. Grapow, Wörterbuch der ägyptischen Sprache, 5vols.(通称「ベルリン辞典」)にも言及されたが、今回は最新のヒエログリフ辞典Y. Bonnamy & A. Sadek , Dictionnaire des hiéroglyphesが繙かれた。この辞書で「アテン」を引くならばまず以下の項目を見出すことができる。

𓇋  𓈖𓏏𓇳itnsoleil, disque solaire

(訳:太陽、日輪)

初めの3文字(𓇋/𓏏/𓈖)はそれぞれがitnの音を表し、4文字目の𓇳はその語が太陽に関係することを表す決定詞Deternativeである。そしてその次の項目には以下のような記載がある。

𓇋  𓈖𓏏𓇳 𓀭 itnAton, nom donné au disque solaire devenu un dieu à part entière

(訳:アテン、完全な資格で神となった日輪に与えられた名称)

こちらは先ほどの語に神に関係する語であることを表す決定詞𓀭が付けられることで、神を表す語へと変化している。日輪がそのまま神格化されたということが語の形態から直接見て取れるのである。

アメンホテプ4世は、宗教改革を完遂するべく、首都をテーベからアケトアテンへと遷した。彼が崩御したのち、首都は再びテーベに戻り、アケトアテンは放棄されることとなったが、現在ではアマルナと呼ばれるその地から出土したアッカド語の粘土板文書群がアマルナ文書である。これはアメンホテプ4世の治世を知るための重要な史料であり、これを集成したものとしてはJ. A. Knudtzon(ed. & tr.), Die El-Amarna-Tafeln, 2vols.がある。この文書群のうち、小アジアのアルザワからの2通の書簡は、アッカド語ではない未知の言語で記されていた。編訳者クヌートソンはそれを印欧語と推測し、慎重を期して本書ではこの「アルザワ書簡」に訳を付していないが、彼の洞察は正しかった。後にそれはヒッタイト語であったということが判明したのである。ここで最新のヒッタイト語文法書として紹介されたのは、H. A. Hoffner Jr., & H. C.  Melchert, A Grammar of the Hittite Language, 2vols.――第1巻が参照文法、第2巻が問題集となっている――であった。

そしてその後に続くユダヤ史について、ヘブライ語、ギリシア語(セプトゥアギンタ本文)、英語の三か国語対照版J. R, Kohlenberger(ed.), The NIV triglot Old Testament所収の地図を傍らに、先生によって改めて解説がなされた。エジプトを脱出したユダヤ人は、カナンの地に入り、前10世紀頃にヘブライ王国を築く。王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国とに分裂する。ヤコブの12人の息子の子孫である十二支族のうち、ユダ族・ベンヤミン族が後者を構成し、残りの十支族が前者を構成した。イスラエル王国は前722年にアッシリアに滅ぼされた。十支族は方々に連行されたために、やがて消滅してしまう。これが所謂「失われた十支族」である。ユダ王国は前586年に新バビロニア王国に滅ぼされ、生き残ったユダヤ人たちはバビロン捕囚に遭う。彼らの大部分はバビロニアのニップールやその周辺の地域に連行された。ニップールはバビロニアの諸都市の中でも特に古い起源をもつ宗教都市であった。この都市がかつてアッシリアによって滅ぼされた後、その悲劇を主題とするいくつものシュメール語の哀歌が歌い上げられたが、それを集めたS. Tinney(ed.), The Nippur Lamentがここで参照された。これは他のシュメール哀歌作品とともに、哀歌というジャンルの起源といえるものである。

ここで参照されたのが、M. S. Smith, The Origins of Biblical Monotheismであった。副題は“Israel’s Polytheistic Background and the Ugaritic Texts”である。本書はユダヤ一神教の起源をゾロアスター教としている。すなわち、ユダヤ人たちは新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシアによってようやく解放され、その後この帝国において信仰されていたゾロアスター教の要素を彼らの宗教に取り入れたという経緯を推定しているのであるが、先生が支持するのもこの説である。

現にその時期に至るまでユダヤ人たちが暮らしていた古代東地中海世界は多神教の世界であった。そうした背景を知るための重要な手掛かりとなるのが、ウガリット文学である。ウガリット王国の名は先述のアマルナ文書においても現れていたが、その正体は当初謎に包まれていた。1928年、現地(北シリア地中海岸ミネト・エル・ベイダ)の農夫により偶然遺跡が発見されたことから、その研究が躍進するとともに、旧約学研究にとっての高い重要性が認識されるようになってゆくのである。例えば、旧約聖書においてたびたび批判される異教の神バアルは、ウガリットの主神であった。出土したウガリット文学の中には豊饒の神バアルと戦争の神アナトについて語られた神話群「バアルとアナト」が存在する。ウガリット文学は旧約聖書の基盤にもなっている「古代東地中海文化」の一つの雛型を我々に提供してくれるのである。

ウガリット学の重要文献としては、ウガリット学の泰斗C. H. Gordonによる包括的ウガリット語文法書・テクスト集・語彙集であるC. H. Gordon, Ugaritic Textbookがあり、また標準的なウガリット語テクスト全集として参照されるのはKeilschrift Texte aus Ugarit(KTU)である――今回の講義ではその第2版M. Dietrich, O. Loretz & J. Sanmartín(eds.), The Cuneiform alphabetic textsが登場した――。また、ウガリット語大辞典としてはG. del O. Lete, J. Sanmartín & W. G. E. Watson(ed. & tr.), A Dictionary of the Ugaritic Language in the Alphabetic Tradition, 2 vols.が、人名辞典としてはF. Grondahl, Die Personennamen Der Texte Aus Ugaritが紹介された。

ウガリット語は楔形文字で表記されるが、これは純粋な音素文字、すなわちアルファベット式の表記体系となっている。このウガリット文字から派生したのがフェニキア文字であり、このフェニキア文字の中でギリシア人が使用しない音素を表す文字を母音文字に転用して整備されたのがギリシア文字である。

ウガリット文字は古ペルシア語楔形文字の影響を受けて作られた。古ペルシア語楔形文字は36の表音文字と8の表意文字から成る。前者の表音文字については、19世紀のインド学者C. Lassenが指摘して以降、アルファベット式に単なる子音の音素を表す場合と、それらの子音の後ろにaiuいずれかの短母音を伴って音節を表す場合(どの母音が伴うかは文字によって決まっている)があるとされており――ラッセンはドイツで最初の『ヒトーパデーシャ』हितोपदेश校訂本文を出したことでも知られるが、今回の講義ではPeter Peterson(ed.), Hitopadeśaと『パンチャタントラ』पञ्चतन्त्र校訂本文J. G. L. Kosegarten(ed.), Pantschatantrum sive quinquepartitum de moribus exponensが登場した――、例えば同時に参照されたR. G. Kent & M. B. Emeneau, Old Persian, Grammar, Texts, Lexiconの音訳はこの仮説に従って想定される短母音も全て記載している。しかし、R. Schmitt, Die Altpersischen Inschriften Der Achaimenidenは、音訳に以上の仮説に基づく短母音を一切挿入せず、一貫して文字の音素のみを忠実に表示している点が特徴である。シュミットはまた同様の立場で古ペルシア語の辞書R. Schmitt, Wörterbuch der altpersischen Königsinschriftenと文体論R. Schmitt, Stilistik Der Altpersischen Inschriften: Versuch Einer Annaherungを著している。後者があくまで「文体論」Stilistikであって「文法」Grammatikではないのは、古ペルシア語が特殊な定型文で書かれた碑文としてのみ残っているために、その一般的な文法が不明であることによる。

古ペルシア語楔形文字はアッカド文字から借用され整備された表記体系である。アッカド文字は表音文字(音節文字)、表語文字、決定詞から成るが、文字の種類が極めて多く、同音異字・異音同字が混在し、一つの文字が表示する音節のタイプもCVVCCVCの3パターンが存在するうえに、同一文章内に同じ語が複数回現れる際にはそれぞれを異なる仕方で表記することが好まれた――そのために解読は非常に難航した――。こうしたアッカド文字の特徴に関連して、講義の中で先生が言及したのはかのバビロニア王ハンムラビの名である。「ハンムラビ」𒄩𒄠𒈬𒊏𒁉(ha-am-mu-ra-bi)は「ハンムラピ」と呼ばれることもあるが、これはbipiがいずれも𒁉と表記されるためであり――このことは講義の中ではD. Marcus, A Manual of Akkadianによって実際に確認された――haammurabiは「神は偉大なり」、haammurapiは「神は癒す者なり」の意となる。後者については王の名にはふさわしからぬように思われるが、先生の洞察によれば、敢えてこの発音を採用する研究者は、ウガリットに同名の王が存在することをその根拠としているのではないか、ということであった

続いて、問題のゾロアスター教である。まず19世紀の学者N. L. Westergaardによる『ゼンドアヴェスター』の初の完全な全集N. L. Westergaard, Zendavesta or the Religious Books of the Zoroastrians, 4vols.が登場した。『ゼンド』とはササーン朝時代に編纂された『アヴェスター』訳注書である。前回の講義でも参照されたK. F. Geldner(ed.), Avesta. The Sacred Books of the Parsis, 3vols.は、さらに膨大な量の写本を突き合わせて厳密な校訂を施しつつ、そこから『アヴェスター』本文のみを抽出したものである。ゲルトナーは元々はインド学者であり――Valentina Stache-Rosen, German Indologistsにも彼の記事がある――、リグ・ヴェーダの翻訳も行っている。アヴェスター語はヴェーダ語とかなりの程度近似しているために、彼は自身の専門分野の能力を応用してこの仕事を成し遂げることができたのである。ここでHarvard Oriental Studies所収の彼の訳書Karl Friedrich Geldner(ed. & tr.), Der Rig-Vedaが実際に参照された。また、上述のゲルトナー編『アヴェスター』の編者自身による緒論を英訳しているE. V. ArnoldA. V. W. Jacksonは彼の弟子であり、特にジャクソンはアメリカにおけるイラン学研究の草分けである。彼のA. V. W. Jackson, An Avesta Grammar in Comparison with Sanskrit――講義に登場した原典研究所所蔵の書はなんと著者が師ゲルトナーに送った献呈本であった!――はサンスクリット語と対照しながら学ぶことができる定番のアヴェスター語文法書である。

同じくサンスクリット語と比較しながらアヴェスター語を学ぶことができる読本としては、前回M.F. Kanga(ed.), Avesta Reader Text translation and explanatory notes with sanskrit cognatesが紹介されていた。ここで改めてその参考文献を見ると、定番のC. Bartholomae, Altiranisches wörterbuchのほかに、K. E. Kanga(ed.), A complete dictionary of the Avesta language in Guzerati and Englishが掲載されており、先生によれば、本書の語義の記述はほとんどこちらの辞書を参照してなされているという。読本の著者のM. F. カンガも辞書の著者のK. E. カンガもともに現地のパールスィーである。この辞書が英語とともにグジャラーティーで記述されているのは、グジャラートに多く住むパールスィーたちの母語であるからである。パールスィーにとってゾロアスター教とは血肉化された己自身の文化であるために、彼らはその外側にいる西洋人の研究者が編纂した辞書よりも、同じパールスィーの研究者が作成した辞書の方をより信頼していることがそこから伺えるのである。

さらにアヴェスター語のうち、特に古いガーサー語の文法書としては、Robert S. P. Beekes, A Grammar of Gatha-AvestanMartin L. West, Old Avestan Syntax and Stylisticsが紹介された。前者は音韻論・形態論のみを扱っており、後者は統辞論のみを扱っているため、ちょうど2書が互いの不足部分を補い合う形になっている。ウェストはギリシア文学が専門であり、長らく定番となっていたT. W. Allen校訂のホメロス本文に代わる新たな定本を出した学者としても知られる。

『アヴェスター』はササーン朝時代に編集され、元々は21部から成るテクストであったが、アレクサンダー大王がペルシアに侵攻した際に全体の4分の3ほどが失われてしまった。ここで現存するテクストのうち、信徒が神に向かって唱える賛歌である「ヤシュト」Yaštに収録されている「ザムヤードヤシュト」Zamyād-Yaštに焦点があてられた。先生はAlmut Hintze(ed. & tr.), Zamyād-Yašt: Introduction, Avestan Text, Translation, Glossaryの語彙集を参照し、そこに“saošiiaṇt”という語を見出す。その意味は“saviour”「救世主」である。このような発想は古代エジプトにはなかったと先生は指摘する――ピラミッドに死体が永遠に保存されることを望んだエジプト人と、鳥葬を行うゾロアスター教徒の死生観を対照することは、この洞察をより深く理解するための手掛かりとなり得るだろう――。エジプトを含め、北アフリカや中東が一神教の世界となるのはイスラーム教の伝播によってである。イスラーム教徒たちは過去の多神教の時代を無明جهلと名指し、その文化を粉砕していったのであった。

さて、愈々ここで一つの答えに至った。そこに至るまでの過程を詳述してきたが、単純に答えに向かって一直線に進んできたというわけではないことが明白に見て取れるであろう。探究とはそのようなものだ。探究において、最も重要なのは答えではなく、答えに辿り着くまでに見える風景の方なのである。むしろ、この全風景を余さず見渡した体験に支えられることによってのみ、答えは知る価値があるだけの意味をもつとさえ言えるだろう。原典研究所はそのために、少しも出し惜しみをしない。そしてそこには探究の拡がりを押し止め、それがある特定の領域の中だけで完結することを余儀なくさせるような制約も一切ない。

先生曰く、記述論とは個々の記述の意味を守るための営みである、と。記述論は一種の相対主義であるが、それはニヒリズムをもたらすだけの価値否定的な相対主義ではなく、個々の記述が背負っている絶対的な価値を認めることに基づいた相対主義である。今回の講義だけでも相当な数の書物が参照されたが、それらは全てこの「絶対的なもの」に触れるために必要な準備だったということになる。単に観想しているだけでは何も得ることはできない。ひとは何よりも先に書物の大海を泳ぎ始めねばならない。そして泳ぎ続けねばならない。目眩めく景色の怒涛の中でほとんど溺れかかったとき、絶対的なものの光が初めて彼に報いるのだ。そうして、最後に彼は悟るのである。それこそが紛れもない彼自身の原体験であったということを。

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