『原典黙示録』第69回(9/11) 講義録

『原典黙示録』第69回 講義録

田中大

アフガン人は18世紀初頭、ギルザイ部族連合ホータキー部族の長ミール・ワイスの活躍でようやく独立の端緒をつかむ。18世紀半ばになるとドゥッラーニー部族連合ポーパルザイ部族のサドーザイ族アフマッド・シャーがアフガン人の王となり、それ以降19世紀まではサドーザイ族の人間が、それ以降は同じドゥッラーニー部族連合のバーラクザイ部族の人間がアフガン人の王として君臨することとなった。地政学的に重要な位置を占めるために列強諸国の多大な干渉を受け、また流入する近代文明と伝統的なイスラーム文化との摩擦が改革を妨げるなど、この国は近代という時代の中で塗炭の苦しみを味わった。王政は20世紀後半まで続くが、1972年、国王ザーヒル・シャーが療養のために出国した隙をついてクーデターが起こされ、アフガニスタンは共和国となった。

1978年にはアフガニスタンの共産主義政党である人民民主党が革命を起こして政権を掌握する。しかし反政府ゲリラとの内戦が勃発し、人民民主党内での派閥抗争も激化した。こうした情勢の急激な不安定化の中、人民民主党政権成立時にソ連・アフガニスタンの間で締結された「友好善隣協力条約」を口実に、1979年12月27日ついにソ連がアフガニスタンに侵攻するのである。講義ではその直後のTIME誌のバックナンバーが繙かれたが、1980年第1号である1月7日号こそ年初の特集として“The Man of the Year”が組まれていた――表紙はかのホメイニ師であった――ものの、その翌週の1月14日号のヘッドラインは“Moscow’s Bold Challenge”、1月28日号のヘッドラインは“Squeezing the Soviets”となっており、この侵攻を大々的に取り上げた当時の記事を実際に手に取って確認することができた。

80年代はソ連軍とそれらに対抗するムジャーヒディーンを支援する西側諸国との代理戦争が展開された。1989年にはソ連が撤退することとなったが、それ以前に成立したソ連の傀儡ナジーブッラー政権をムジャーヒディーンが認めなかったため、アフガニスタンの分裂は続いた。そして冷戦後の1992年になってようやくナジーブッラー政権が倒れ、ムジャーヒディーンが政権を握る。しかし、今度はムジャーヒディーン同士の抗争が起こり内戦が発生、ここで惨憺たる国内情勢を変えるべく立ち上がったのがターリバーンであった。破竹の勢いで勢力を拡大するターリバーンは1996年に政権を掌握、それに対しムジャーヒディーンは再び団結、北部同盟を結成し抵抗する。こうした中で、かつてムジャーヒディーンとしてソ連と戦ったウサーマ・ビン=ラーディンの率いるアル・カーイダがアフガニスタンに入ってターリバーンと接近したのであった。そして2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生すると、ビン=ラーディンの身柄引き渡しを拒否したことを理由にアメリカがアフガニスタンに空爆を開始、ターリバーン政権はまもなく崩壊した。講義で登場したTIME誌9.11特別号は、時代を画した歴史的事件当時の緊迫した状況をありのままに伝えている。

その後はアメリカ等の支援の下で同年末には暫定政権が樹立、2004年には新憲法が制定された。しかし新政府は腐敗のために求心力を失ってゆき、ターリバーンはパキスタンなどの支援を受けながら、次第に勢力を回復していった。そして去る2021年8月の米軍撤退に伴い、ターリバーンが再びアフガニスタン全土を制圧することとなったのである。

今回は原典研究所所蔵のTIME誌のバックナンバーを活用しながら諸勢力が繽紛と入り乱れるアフガニスタン現代史を辿った。これらの誌面からは、単に当時起こった事件に関する情報を得ることができるにとどまらず、その時代の空気とでもいうべきものが香る。それを実際に嗅ぎ取ることで、単なる「歴史の理解」は「歴史の〈追体験〉」へと変質する。こうした営みなくしては、無骨な事実の集積は歴史として成立し得ないとさえ言えるだろう。この講義の中で、われわれは一人の〈歴史家〉として世界と対峙することを学ぶのである。

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