『原典黙示録』第71回 講義録
田中大
今回の講義では、アフガニスタン問題について、TIME誌を参照しつつそのアメリカ国内政治との本質的関連を指摘する形で、先生によって最後の総括がなされた。しかし、事態は目下進行中である。こうした予断を許さない状況においては、問題を可能な限り正確に注視することで、決定的瞬間に向けて己の実践を研ぎ澄ますのみである。
ある重大な問題を正確に解明しようとするとき、ひとは必ず〈たじろぎ〉を覚える。この〈たじろぎ〉に誠実であろうとするところから、問題は二つの方向、即ち、共時的な方向と通時的な方向へと拡がってゆく。こうして探究者は、現実において最大限に視野を広げつつ、歴史の最も深い地点にまで沈潜することを要求される。すると必然的に、それは全世界を相手にする営みにまで膨張する。一つの問題から全世界へ、全世界から一つの問題へ、精神は絶えず往還せねばならない。ゆえに、この『原典黙示録』では現在の情勢についての言及がなされるだけではなく、古来書き継がれてきた過去の〈テクスト〉を一つ一つ味倒することにも多くの時間が割かれたのであった。
記述論的には、過去の〈テクスト〉を読むことも、現在の世界情勢を読むことも、質的には全く等しい営みである。こうして現実と歴史――さらにはそれらを取り巻くあらゆる知的営為――が交わる地点に立つことができなければ、全世界を相手にすることは到底できない。しかしこのことは、一つの枠組の中に異なる領域の探究手段を溶かし込み、粗悪な方法のアマルガムを生成すること意味するのではない。われわれが果たさねばならないのは、探究の過程で必要となる様々な領域における営みを同一の地平の中で語ることができる文体を絶えず創出しながら、進み続けることである。これは即ち、それらの領域を規定しているところの厳密な制度的区分以前の正確さをどこまでも追い求めることでもあるだろう。われわれは自らの生を終えるその瞬間まで、知的に誠実であるよう尽力し続けるほかない。記述論に完成はないのだ。しかしそうであるがゆえに、記述論は全てを語りうる可能性に常に開かれている。その開けを切り開くのは、言語主体としての意識の中での〈記述〉と〈読解〉の無限の連鎖である。これが原動力となって、意識は不可避的に外界へ押し出されることになる。そこで世界に対してそのつど最も適切な態度を選び取ること、これこそが本来的なアンガージュマンであるのだ。全ての政治的実践の端緒は、ここにある。