『原典黙示録』第73回(10/9) 講義録

『原典黙示録』第73回 講義録

田中大

原典人文学と原典地政学が織りなすのは、〈自由〉を模索するための根源的な意味における〈生の哲学〉である。他者の思うままに動かされることとも、他者を思い通りに動かそうとすることとも無縁であることによってはじめて、ひとは自由でありうる。イデオロギーは、人間を言葉に隷属させ、そして最も鞏固な形で人間を人間に隷属させる。自由であろうとする主体にとっての様々な問題は、畢竟、イデオロギーの問題に帰着するのである(『おんぱろす』《§. I-[A]-[3’]》参照)。人間の自由とは、最も根源的には、イデオロギーからの自由であると言い換えられる。そして記述論は、決定的な仕方でイデオロギーを問題化したことで――かつそれが本質的には〈社会工学〉に他ならないことを喝破したことによって――、アカデミズムの狭隘な議論によっては決して到達することができない真の〈自由の哲学〉として成立し得たのであった。

そして近現代の世界においてイデオロギーの根幹をなしたのは共産主義である。この共産主義とその変奏としての諸思想の虚構性を剔抉すること、それがこの講義の、そして記述論の最終的に目指すところである。現代においてこうした諸思想は、あたかも危険なイデオロギーとは無縁であるかの如き麗しい道徳の装いを纏って、人々の思考を根底から規定している。人間の自由は今や大いなる危機に晒されている。人々はわれわれが引き受けてきたものも、われわれが作り上げつつあるものも含めて、全てを彼らの正義の名の下に断罪しようとする。多くの言葉は滅ぼされ、多くの言葉は彼らの思想に適合するように歪められるだろう。そして彼らは、あらゆる文化が烏有に帰し、自らが瓦礫の山々の真中に立っていることに気付くまで、それが過ちであることを決して理解しないだろう。われわれは彼らから〈意味〉を守らねばならない。真の意味で〈自由〉な、人生と呼ぶに値する生を全うするために。それを成し遂げうるのは、美辞麗句によって歪に飾り立てられた精神ではなく、内奥に豊かな己の言葉を秘める精神なのである。

良賈は、深く蔵して、虚なるがごとし〔司馬遷『史記』〕

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