『原典黙示録』第75回(10/23) 講義録

『原典黙示録』第75回 講義録

田中大

今回は、イタリア語講座の開講に先立ち、イタリア語辞書の紹介が簡潔に行われた。それに関連して、書簡『「バルタザール」考』に言及がなされた。これはまさしく記述論的〈辞書〉の雛型を提供する〈テクスト〉であるからだ。

辞書は記号論的であってはならない。そのような辞書は、置換によるトートロジーの無限の円環に読み手を引き込むだけである。それによってなぜ他者の記述したテクストを読むことができようか。辞書は読者を狭い循環に閉じ込めてはならず、無限の意味の連環へと押し出さねばならない。

『「バルタザール」考』の最終部に示されているのはいわば記述論的に理想的な〈辞書〉の一項目であるが、そこでは錯綜する意味と音韻の織りなす無数の糸の巨大な塊が丹念に辿り直され、それはまさに固有名詞“Balthazar”に纏わる「全体験変容」を味わい尽くすための端的な道案内となっている。

ゆえにこれは〈読み〉の正確さの極点を示すものであるとも言えるだろう。この書簡において登場する大量の辞典/事典は、原典研究所での講義において机上に山積みにされ参照される書物と同等の意義をもつ。先生の眼が一つのテクストをとらえるならば、即座にその背後には関連するあらゆるテクストが映り出す。本を読む力をもっているということは、まさしくこうした眼を所有しているということだ。汗牛充棟の教室の中で大量の書物に臨むことで、われわれは日々その眼を鍛え上げられているのである。

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