イタリア語講座 初回(10/25)講義録

中垣太良

去る10月25日(月)、新たにイタリア語講座が始まりました。

内容はマキャベリ『君主論』(“Il Principe”)の講読です。Mondadori社から出版されている現代イタリア語との対訳版を教材としています。

受講生はビジネスマンから哲学徒、上古中国語の専門家、言語学徒、そしてマキャベリ研究者に至るまで実に多彩です。

講義はまず、読解を助ける工具書の紹介から始まりました。まずは辞書。邦書としては小学館の『伊和中辞典』(池田廉ほか編)、白水社の『新伊和辞典』(野上素一編)が紹介されました。前者は伊和事典として最も標準的であり、後者はダンテにまで遡る古い時代の用法を積極的に掲載しています。邦書では補いきれない場合はZanichelli社から出版されている伊伊辞典Il Nuovo Zingarelli: Vocabolario della lingua Italianaを参照することが勧められました。また、メンバーからは、伊伊辞典・百科事典・ダンテ事典から一括検索が可能なTreccaniのオンラインサイト(https://www.treccani.it/)の紹介もありました。次に文法書。西本晃二『新講 現代のイタリヤ語』に加え、M. Maiden & C.Robustelli, A Reference Grammar of Modern Italian ーー例文として、新聞・雑誌・文学作品・思想書など、生きたイタリア語の用例を数多く採用しているのが特徴的ですーーが紹介されました。

イントロダクションののち、まず小手調べとして、訳者ピエロ・メログラーニによる序文と献辞(Premessa e dedica)を読みました。受講生が一文ずつ訳していき、先生が適宜解説を加えていくというスタイルです。gli(音声表記では[ʎ])の発音方法、近過去・遠過去・半過去のアスペクトの違い、代名少詞neの語源(ラテン語の副詞inde「そこから」より)、主格代名詞の強調用法といったお話がありました。

ところでイタリア語は、他のロマンス諸語と比べると古い時代からの変化が少ないと言われます。それゆえ、現代イタリア語の文法知識があればダンテやマキャベリも読めてしまうのだ、とも。

しかし、これは正確な理解とはいえないようです。メログラーニは序文で次のように述べています。

Alcuni anni or sono, Goffredo Parise mi confidò che abbastanza di frequente l’italiano di Machiavelli gli risultava difficile, complicato e oscuro. Mi disse di esser riuscito a capire e a gustare Il Principe di Machiavelli solamente dopo averlo letto in traduzione francese. Soggiunse che gli stranieri conoscevano Machiavelli meglio degli italiani, poiché avevano la fortuna di leggerlo tradotto. Suggerì di tradurre Il Principe in italiano moderno,〔……〕

「何年か前のことだが、ゴッフレード・パリーゼが、マキャベリのイタリア語は実にしばしば、難解かつ複雑で意味がとりづらく感じられる、と私に打ち明けてきた。フランス語訳で読んで初めて、マキャベリの『君主論』を理解し味わうことができた、とも。さらに、外国人のほうがイタリア人よりもマキャベリの文章を良く理解している、なぜならそれを翻訳で読む幸運に恵まれているからだ、と付け加えた。彼は私に、『君主論』を現代イタリア語に翻訳しないかと提案してきた〔……〕」(拙訳)

翻訳で読んだほうが理解しやすい、とはどういうことでしょうか? 原文の単語ひとつとっても、立体的な意味の広がりを持っていますーー例えば上記のrisultava(<risultare)は主に「…の結果になる」と訳語を当てられますが、ここでは「…であることがわかる」という、英語のproveに近い意味で使われていることが指摘されましたーー。しかし翻訳の際には訳語を一つに選定せねばなりませんから、原語の意味の広がりは狭められることになります。裏返せば、翻訳で読む際には訳者の解釈に従って読み進めることができるため、読者は原文の持つ多義性に幻惑されずに済む、ということでしょう。

上記の文章の解説に当たって、『おんぱろす』《§. Ⅱ-[n]》が参照されました。

「デカルトの生活[生涯]は、最も単純simplicissimaなものである」

「僕は、正確でありたいという烈しい[急性の]病に罹っていた」

上記はPaul Valéry, Monsieur Teste(ポール・ヴァレリー『テスト氏』)の先生の手による翻訳です。先生曰く、角括弧はあり得る訳語の可能性を示したものだとのことです。

今回の講義は、受講者のイタリア語能力を把握するため、原文には突入しませんでしたが、適宜『おんぱろす』を参照しつつ記述論的な<読み>が実践される未来を予感させました。

次回は文献学の入門講義が行われる予定です。版が違うとは一体どういったことなのか? 校訂はどのように行われるのか? 原典の豊富な蔵書を駆使しつつ、『君主論』やその関連書物について解説が加えられることでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です