講義紹介 2018年3月26日(フランス語講座)

月曜日のフランス語講座では現在『方法叙説』第四部を読んでいます。第四部は「我思う故に我あり」と神の存在証明が登場する哲学的に極めて重要な部であります。一般にデカルトの「我思う故に我あり」と神の存在証明の間にはギャップを見て取られることがあるようで、実際私もかつて『省察』を読んでいる時に、「『我思う故に我あり』まではついていけるが、神を持ち出されると少し違和感を感じる、神の存在証明をここで行う必然性はあるのだろうか」と疑問に感じた憶えがあります。 今月の授業ではこの「神を持ち出す理由の必然性」が明かされました。『方法叙説』は大衆が一気に通読するには長いとして初めに同書が六部構成に分かれること及び各部の要旨が述べられているのですが、ここで第四部のテーマは神の存在の証明と霊魂の不滅の証明であるとされ、そもそも神の存在を証明することを志向した部であると語られています。すなわち第四部の文章は神の存在証明に向かっており、「我思う故に我あり」も(第四部におかれている以上、文体の一貫性を考えれば)神と無縁な議論ではありえないのです。ここで前稿でも触れた仏教学の唯識論を補助線にすることができ、「私が持っている観念もその対象の事物にも実在性はないが、私にそのように考えさせるアーラヤ識は実在する」という構造と対照的に、「私が観念の対象の事物の実在性を疑うとき、考える主体としての私は確かにあるが、以上のように私に考えさせるものとして神がある」と読むことができます。 第四部の議論が神の存在証明に向かっているという意識、そして唯識論の補助線をもとにした記述論的読解により、「我思う故に我あり」に原典流の読みが与えられたのです。
(板尾)

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