講義紹介 2018年4月2日(フランス語講座)

プラトンのιδέαとデカルトのidée

思惟実体としての自我の存在を論じた、『方法叙説』第四部の冒頭の3つの段落を前回までに読み終え、今回はEn suite de quoi…に始まる長い段落に入りました。ここから議論は神の存在証明にうつり、デカルトの形而上学を理解するにあたり鍵となる概念が新たに導入されます。

まず目を惹くのは、完全性perfection、無から引き出すtenir du néantといったスコラ学の術語が出現することです。この理由について、Chris Rohmann, “A World of Ideas” という辞典を用い、デカルトの神の存在証明はアンセルムスの議論を洗練させたものだからだと確認しました。神の存在証明は現在では3つのカテゴリーに大別されますが、アンセルムスとデカルトによるものはそのうちの存在論的証明に含まれ、「最も偉大な(完全な)存在者が存在するはずで、それは神である。」と主張するものです。

さらに、デカルトはこの段落以降、idéeの語も繰り返し用いています。火曜日のギリシア語で講読している『エウテュプローン』では、プラトンはιδέαを「事物の本質/性質」の意で用いていました。(※付記)デカルトの時代のラテン世界では、idéeは「観念」の意味に変遷しており、「本質/性質」の意にはnatureが充てられています。この語の意味の変遷を、André Lalande, “Vocabulaire technique et critique de la philosophie“によって確認しました。

ところで、デカルトの自我および神の存在証明が「証明」として成立しているかは古来問題になっています。本日はデカルトの議論に対する有力な批判として、存在するものは知覚されうるものであるとする経験論の文献が紹介されました。George Berkeley, “A Treatise Concerning Principles of Human Knowledge” および、David Hume, “A Treatise of Human Nature” の二冊です。

原典研究所では、大乗仏教、プラトン、グノーシス、スコラ学、デカルト、経験論といった古今東西の思想を相互に比較、参照しつつ理解しています。「神々は記述に宿る」をモットーとする汎神論的実存主義の真骨頂といえる講義です。
大乗仏教ないしグノーシスを補助線としたデカルト読解については板尾君の過去の投稿をご覧ください。)

※付記 『エウテュプローン』におけるイデア
ἢ οὐ ταὐτόν ἐστιν ἐν πάσῃ πράξει τὸ ὅσιον αὐτὸ αὑτῷ, καὶ τὸ ἀνόσιον αὖ τοῦ μὲν ὁσίου παντὸς ἐναντίον, αὐτὸ δὲ αὑτῷ ὅμοιον καὶ ἔχον μίαν τινὰ ἰδέαν κατὰ τὴν ἀνοσιότητα πᾶν ὅτιπερ ἂν μέλλῃ ἀνόσιον εἶναι; (5-D)

あるいは、敬虔とはあらゆる行為においてそれ自体と同じものではないのか。また、不敬虔とはあらゆる敬虔の反対であり、一方でそれ自体と同一であって、不敬虔であるはずのものはすべて何か一つのイデア(本質/性質)を持っているのではないか。
(ταὐτόνはτὰ αὐτάのアッティカ方言の省略形で主格です。)

『エウテュプローン』はソクラテスの刑死を描いた四部作の最初の作品であり、プラトン全集の冒頭に位置しています。
そのため、このιδέαに中期以降のプラトンの概念としてのιδέαの萌芽が見出しうるかは古来論争の的になっている、といったことまで火曜日の講義では追究しています。

“Was ist das eigentlich?”(それはそもそも何なのか?)と問うことが哲学であるとすれば、この一文は哲学が記述された初めとも考えることができます。

(阿部)

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