中垣太良
今回は、手始めにスコット・クリスチャンソン『図説 世界を変えた100の文書:易経からウィキリークスまで』(松田和也訳)が参照された。[これは第5回の講義でも参照され、その際には順に『易経』、ハンムラビ法典、死海文書、『マハーバーラタ』、ガンダーラ語仏教写本、『クルアーン』に関連する原典研究所の蔵書が惜しみなく披露されたのち、『イリアス』について<探究>が行われたのであった。]
ページを繰っていくと、本書には当然あって然るべき書物が欠けていることがわかった。聖書である。
グーテンベルク聖書や欽定訳聖書といった各国語訳については紹介しているものの、それらの源流をなす写本についてはほとんど触れていないのである。類書マイケル・コリンズ[他]『世界を変えた本』(樺山紘一監修、藤村奈緒美訳)に当たっても、やはり同様である。
今回はこれを補うべく、新約聖書にまつわる諸問題について概観することとなった。西洋の文献学は聖書文献学入門に端を発するため、「文献学入門の入門」の一環としても最良のテーマである。
本題に入る前に、まず田中さんの“שילֹהִׁ(shiloh)”(『創世記』49:10)に関する問いへの補説として、ドイツのユダヤ教徒たちによるモーセ五書(トーラー)の注解書、Die Tora: in jüdischer Auslegungが参照された。当該箇所を確認すると、“bis Schilo kommen wird”(「シロが来るであろうときまで」)と解釈されている。同じユダヤ教徒でも、アメリカのユダヤ教徒たちによって編集されたJPS Hebrew-English TANAKHが紹介しているのとは別の解釈を取っている点が興味深い。
続いて、マルティン・ルターによるドイツ語訳聖書の豪華愛蔵原綴版、Martin Luther, Die Gantze Heilige Schrifft Deudsch(Rogner & Bernhard)が参照された。
ここで、まずルターの時代(15世紀末から16世紀半ば)におけるドイツの言語状況について解説が加えられた。北ドイツでは、ハンザ同盟のもと経済的なネットワークが張られ、商業取引の便宜から、種々の低地ドイツ語方言の特徴が混合した共通の書き言葉が用いられていた。[なお、そもそも「ドイツ」Deutschとは、聖ボニファティウスが8世紀のドイツでキリスト教を布教した際、ラテン語に対する「民衆の話す俗語」vulgārisの訳として用いられたのが最初である。]一方ドイツ南部ではハプスブルグ家の支配下のもと、カトリック教会の言語であるラテン語が書き言葉として主流であった。それに平行して、14世紀末ごろから、ドイツ中部において様々な地方言語の中間体である書き言葉が用いられるようになる。ドイツ中部で生まれ育ったルターは、この書き言葉を聖書の翻訳に用いたのである。これが現在の標準ドイツ語の祖、初期新高ドイツ語である。
さて、本書の“DAS ERSTE BUCH MOSE”(「モーセ五書の最初の書」=『創世記』)で当該箇所を確認すると、”BIS DAS DER HELT KOME”(「HELTが来るときまで」)と訳されている。さらに、同書の現代ドイツ語訳版(Württembergische Bibelanstalt出版)を確認すると、”bis daß der Held komme”とある。まず現代ドイツ語辞典でHELTを調べると、記載されていない。そこでMiatthias Lexer編纂の中世ドイツ語辞典Mittelhochdeutsches Handwörterbuchを当たると、現代語のHeldと同語とある(綴りが違うだけで、発音はどちらも/hɛlt/である)。ここで現代ドイツ語辞典に戻り、Heltの語義が「英雄、勇士」であることを確認した。つまり、ルターはこの箇所を「英雄が来るときまで」と訳しているのである。
こうして、田中さんの問いに対する返答の補足が終わると、話は新約聖書に移った。現在頒布されている新約聖書の大元は、どのようなところから始まったのか? それ知るには、まず 古代の書物がどのような形で存在していたのかを知らねばならない。
初めに、信頼のおける研究書兼概説書として、Kurt Aland & Barbara Aland, The Text of the New Testament: An Introduction to the Critical Editions and to the Theory and Practice of Modern Textual Criticism及びブルース・M・メッツガー『新約聖書の本文研究』(橋本滋男訳)を参照しつつ、新約聖書の写本の形態について解説が加えられた。
新約聖書の本文資料として多くを占めるのは、ギリシア語の写本(その数なんと5735点)である。当初はパピルス製の巻子本rollが支配的であったが、扱いにくさや書き込める文字量の少なさゆえ、冊子本codexへと移行していくーー講義では、パピルス資料を包括的に扱ったPhilip Comfort, Encountering the Manuscripts: An Introduction to New Testament Paleography & Textual Criticismが参照されたーー。そして4世紀初め頃、コンスタンティヌス1世の時代から、パピルスよりも丈夫かつ両面書写に向いた羊皮紙の冊子本に取って代わられるようになる。これはシナゴーグにおける儀礼で今なお巻子本を用いるユダヤ教徒とは対照的な態度であり、興味深い。
羊皮紙に聖書本文を写す際、9世紀までは大文字体majuscule hand[アンシャル字体とも呼ばれる]が主として用いられた。これは美しい字体であるが、書くのに時間がかかる上、一文字一文字がスペースを取るため羊皮紙が嵩むという欠点があった。そのため、9世紀前半にはより簡便な小文字体minuscule handが用いられ始め、10世紀末には大文字体は殆ど使われなくなる。
大文字体で書かれた写本を大文字写本、小文字体で書かれた写本を小文字写本と言うが、新約聖書文献学において最も重要な「シナイ写本」ーー聖書本文が完全な状態で保存されている唯一の写本であるーーは、前者に属する。と、なんとここで、「シナイ写本」の影印本、Bibliorum codex sinaiticus petropolitanusが披露され、しばし賞翫されたのであった! 聖書文献学では、この「シナイ写本」と、「ヴァチカン写本」、「アレクサンドリア写本」という極めて保存状態の良い大文字写本3つをThe Three Great Codicesと称する。
ギリシア語写本5735点のうち、パピルスは116点、大文字写本は310点、小文字写本は2877点を占める。残り2432点は、聖書日課表Lectionaryーーどの礼拝日に、聖書のどの箇所を読み上げるか定めた資料ーーである。
さらには、非ギリシャ語資料も膨大な数存在する。これについては豊富なカラー図版を含むChristpher de Hamel, The Book. A History of The Bibleが参照され、シリア語・ラテン語・コプト語・ゴート語・アルメニア語・グルジア語・古代教会スラヴ語といった、各国語の聖書写本の影印を鑑賞した。その後、ウルガータ訳(ローマ・カトリック教会公認のラテン語訳)を行ったヒエロニムスの唯一とも言える伝記J. N. D. Kelly, Jerome: His life, writings, and controversiesも参照されたほか、ウルガータのラテン語文法書としてW. E. Plater, A Grammar of the Vulgateが紹介された。さらには、古代教会スラヴ語聖書の実物や、古グルジア語版「マタイの福音書」及び編集者Robert P. Blakeによるラテン語訳を収録したThe old Georgian version of the Gospel of Matthew : from the Adysh Gospels with the variants of the Opiza and Tbet Gospelsに加え、古アルメニア語版「使徒言行録」の本文を収めたJoseph M. Alexanian編、The Ancient Armenian Text of the Acts of the Apostlesといった貴重資料が披見された。
上記では聖書資料を、その形態と言語の種類とで区分した。これとは別に、写本の系統という観点によると、概ね西洋系、アレクアンドリア系、ビザンツ系とに分類できる。ビザンツ系は小文字写本の大部分を占め、数でいえばかなりのものーーそれゆえ、「多数派テクスト」(”The Majority Text”)とも呼ばれるーーである。ただしビザンツ系の写本では本文が固定化されており、これに価値をどの程度置くかは研究者によって意見が分かれる。
現在流通しているギリシャ語新約聖書の校訂本文ーー講義では、聖書協会世界連盟(United Bible Societies)のThe Greek New Testament(Nestle-Aland聖書本文を元とする)が参照されたーーは、上記に述べたギリシャ語資料やその他各国語の資料に加え、教父資料なども比較検討して作られているのである。
今回の講義を通じて、聖書文献学が、資料数の面から見ても歴史的伝統の重みから見ても恐るべき広がりと奥行きを持つ学問であることが理解できた。これは単なる「教養」として考えるのでは足りない。その背後に、自らの生の源泉たる信仰に突き動かされる人々の姿を読み取らねばならないのである。