『原典黙示録』第83回(12/18) 講義録

『原典黙示録』第83回 講義録

田中大

今回の講義はチベット語文法書についての質問に先生が答える形で始まった。突然の質問であったのにもかかわらず、先生が即座に書架から取り出したのは、J. B. Wilson, Translating Buddhism from Tibetan、そしてS. Hodge, An Introduction to Classical Tibetanであった。特に後者は、練習問題が全て仏典から引かれており、『阿弥陀経』、『法華経』、『如来蔵経』等の読解を通じて古典チベット語を学ぶことができる好著である。

これに関連して、教室所蔵の蔵語仏典がいくつか繙かれた。まず、『大宝積経迦葉品梵蔵漢文六種対照』である。初期大乗経典である『大宝積経』Mahāratnakūṭa Sūtraに含まれる『迦葉品』Kāśyapaparivartaは、サンスクリット語原典が伝わる数少ない仏典のひとつであり、本書はこの仏典の梵語原文、蔵語訳、漢訳四種(それぞれ漢代、晋代、秦代、宋代に作成された翻訳)の六つのテクストをエストニアの東洋学者Alexander von Staël-Holsteinが編集したものである。

そのほか、モークシャーカラグプタによるインド仏教最後期の仏典『論理の言葉』Tarkabhāṣāの梵蔵対照版L. N. Shastri(ed.), Tarkabhāṣā of Mokṣākaraguptaや、西洋仏教学黎明期に活躍したロシアの大学者シチェルバツコイによるダルマキールティ『正理一滴論』Nyāyabinduの蔵語テクストФ.И. Щербатской(ed.), Nyayabindu. Буддийский учебник логики и толкование на него. Тибетский текст、マックス・ミュラーによって編集された『東方聖典叢書』Sacred Books of the Eastが登場した。

これらに続いて参照されたのは、『記述論の夕べに寄せて』のあとがきに引用されているチベット語の一節であった。

yig-phyed go-bas klog. ——Anon. Tibetan
「語の半ばは、含意によって読まれる」

これは現代チベット語の文法書M. C. Goldstein, Essentials of Modern Literary Tibetanから引かれた言葉であるが、まさに〈読む〉という行為を可能たらしめる人間の言語活動の余白とでも言うべきものを見事に道破している。しかし当然ながら、チベット語を学ぶことがなければ——こうしてそれを既に学んだ先達に教わるという稀有の僥倖にあずかるのでもない限り——、この言葉を知ることは決してできないのである。苦心して様々な言語を習得する意義は、まさにここにある。こうしたたった一言の金言に出会うために、私たちは言葉を学ぶのであり、その一言にさえ出会うことができれば、どれだけの途方もない労力もその瞬間に全て報われるのである。

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