『原典黙示録』第91回(2/19) 講義録

『原典黙示録』第91回 講義録

田中大

今回から講義の主題は西洋古典文献学に移る。手始めに論じられたのはプラトン文献の歴史であった。プラトンのテクストは、古典ギリシアの諸著述家の文献の中でも例外的に欠損がほとんどない形で伝承されてきた。初めはパピルスに記されたものが、中世には羊皮紙に記されるようになった。そして活字本が出版されたのは16世紀に入ってからのことである。1513年には最初の全集としてアルド版『プラトン全集』が刊行された。しかしこれは校訂を施さずに写本を活字本として出版しただけのものであったため、プラトン出版史的な価値はあっても、プラトン文献学史的な価値はない。これに続いて1578年に出版されたのが原典研究所にも所蔵されているステファヌス版『プラトン全集』である。この版は、校訂の水準の高さもさることながら、そのページ数と段落が現在においてもプラトンの本文を参照する基準となっているため、まさにプラトン研究の軸たるテクストとして、この上ない重要性をもつ。

その後、プラトン全集としてはフランスのディドー版、ドイツのシュタルバウム版、そして19世紀初めから現代に至るまで定番テクストであり続けているバーネット版(これに代わる全集が現在刊行中)が出版された。いずれも原典研究所の所蔵するところであるが、特に今回の講義で参照されたディドー版は、フィッチーノのラテン語訳が付されているため、ルネサンス思想研究に不可欠の貴重な資料でもある。

ここにおいて本講義の文献学研究はマキャヴェッリに結び付く。彼は、政治思想史上の重要性においてプラトンに比肩するが、無論思想家としての性質は大きく異なる。彼は徹底して現実を見つめ抜いて語る人間であった。彼はそのつどの現実に対して可能な限り誠実であろうとし続けた。そうした態度の上に成立する彼の思想はそれ自体、思想というものが何らかの「主義」として凝固しようとする運動から逃れ去る力そのものであるとさえ言えよう――即ち先生によって指摘されたように、「マキャヴェリズム」という言葉は語義矛盾に他ならない!―――。

先生の講義もまた、極限までこうした知的態度を保持し続けんとする強靭な意志に貫かれている。そうであるがゆえに、現実の側が講義の注釈となるという事態が生じ得るのである。そして或る一点へと収束しつつある現在の状況は、『原典黙示録』最終章の幕が開いたことを確かに示している。2年以上に亘って続いてきた本講義も、愈々大詰めである。

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