『原典黙示録』第92回 講義録
田中大
講義の冒頭に繙かれたのは定番のサンスクリット語文法書、辻直四郎『サンスクリット文法』であった。その「まえがき」には、本書がパーニニ学派の系統を汲むサンスクリット文法学に立脚して執筆されている旨が断られている。今回の講義の主題はこのパーニニであるが、出発点は原典式に、それをさらに遡った地点に定められた。パーニニによる文法学が打ち立てられた時期のサンスクリット語からさらに遡行すれば、ヴェーダ語に行き着く。ヴェーダの本体部分がサンヒターと呼ばれるが、これは『リグ・ヴェーダ』ऋग्वेद、『サーマ・ヴェーダ』सामवेद、『ヤジュル・ヴェーダ』यजुर्वेद、『アタルヴァ・ヴェーダ』अथर्ववेदから成り、最も古い時代に書かれたとみられるのが『リグ・ヴェーダ』である。
まず『リグ・ヴェーダ』本文としては、Max Müllerによって19世紀に刊行されたF. Max Müller (ed.), Rig-Veda-Samhitā(4vols.)と、最近(2009年)に出版されたB. B. Chaubey(ed.), Āśvalāyana Samhitā of the Ṛgveda: With Padapāṭha(2vols.)が参照され、また『リグ・ヴェーダ』本文を韻律の観点から復元したものとして、B. V. Nooten & G. Holland (eds.), Rig Veda: A Metrically Restored Text with an Introduction and Notesが紹介された。
その現代語訳としては、独訳K. F. Geldner, Der Rigveda(4vols.)や、インドの伝統に従った解釈による英訳S. S. P. Sarasvati & S. Vidyalankar(trs.), Ṛgveda Samhitā(13vols.)、最新の英訳S. W. Jamison & J. P. Brereton(trs.), The Rigveda(3vols.)が登場した――そしてさらにここに特筆しておくべきはインドの最重要聖典『マハーバーラタ』の梵英対訳書M.N. Dutt(tr.), I. C. Sharma(ed.) & O.N. Bimali(ed.) , Mahābhārata(9vols.)が展観に供されたことであった――。
続けてヴェーダ研究に不可欠なコンコーダンスM. Bloomfield, A Vedic Concordance、同じ著者によるリグ・ヴェーダの反復表現、対句などについての論考M. Bloomfield, Rig-Veda Repetitionsが紹介された。ヴェーダ語の文法書としてはA. A. Macdonell, Vedic Grammarのほか、L. Renou, Grammaire Sansctiteがヴェーダ語の一部をも範囲に含むサンスクリット語文法書として言及された。
ヴェーダ語の時代が終わった後、紀元前4世紀頃に活躍したとされるのが大文法学者パーニニであるが、そのパーニニ文法の原典としてO. Böhtlingk(ed.), Pâṇini’s Grammatikが登場した。吉町義雄訳『古典梵語大文法』はその唯一の邦訳である。
特殊な記号を駆使して記述されたこの非常に難解な文法学書を読み解くためには入念な準備が必要である。まずパーニニ専門の文法用語辞典としてはJ. A. F. Roodbergen, Dictionary of Pāṇinian Grammatical Terminologyに加え、S. M. Katre, Dictionary of Pāṇini(3vols.)がある。また、古典的なパーニニ研究文献としてT. Goldstücker, Pāṇini: his place in Sanskrit literatureが紹介された。さらにパタンジャリによるパーニニ文法の「大注釈」F. Kielhorn(ed.), The Vyākaraṇa- MahāBhāṣya of Patañjali(3vols.)や、その抄訳S. Bhattacharyya(ed.), The MahāBhāṣya of Patañjaliも登場した。
これら古来のサンスクリット文法学用語専門の辞書としては、K. V. Abhyankar & J. M. Shukla, A Dictionary of Sanskrit Grammarがあり、その文法学者たちの業績にアプローチするための重要論文を集成したものとしてJ. F. Staal, A Reader on the Sanskrit Grammariansが繙かれた。また、F. Kielhorn, A grammar of the Sanskrit languageはパーニニ学派の文法学に沿って記述された古典的なサンスクリット文法書である。また、サンスクリット語概説書としては叢書The Great Languagesに収録のT. Burrow, Sanskrit Languageがある。
ヴェーダ語・サンスクリット語をカバーする辞典としてはO. Böhtlingk & R Roth, Sanskrit-Wörterbuchが紹介された。そのヴェーダ語の項目はRothが、それ以外の項目はBöhtlingkが担当している。現代でも定番のM. Williams, A Sanskrit-English Dictionaryは本書の完成度にの高さ触発され、E. Leumann、C. Capellerらを編集メンバーに加えて全面的に書き直されて出版されたものである。
次いで紹介されたサンスクリット名句集O. Böhtlingk(ed.), Indische Sprüche, Sanskrit und Deutsch(3vols.)は古代インドの知恵のエッセンスであるが、文法書執筆にあたって屡々利用されるところの所謂種本でもある。最後にサンスクリット語学研究に有益な研究書としてサンスクリット語音声学研究書W. S. Allen, Phonetics in Ancient India、サンスクリット語統辞論研究書J. S. Speijer, Sanskrit Syntaxが紹介された。
以上は、ヴェーダ的〈世界〉、そしてサンスクリット語の諸テクストにおいて記述された〈世界〉を理解するための〈辞書〉と〈文法書〉の紹介であった(「講義紹介(世界史講義)「世界という書物」について」参照)。〈世界〉を〈テクスト〉として〈読解〉するという態度は、古今東西ありとあらゆる主題について論じてきた『原典世界史概説』と『原典黙示録』とに通底している。無論、扱うテクストによって、あるいは論じる対象によって、〈記述のレベル〉に差異が生じることには細心の注意を払わねばならない。しかし、最もメタなレベルにおいては、一貫した態度を選び取り続ける必要がある。そうでなければ、われわれが得るものはその都度見出した世界の断片に過ぎず、それをいくら寄せ集め蓄えても決して世界を理解したことにはならないからである。
この態度決定の下に、〈記述論〉は〈世界〉を〈読解〉する。先生の〈語り〉はその〈読解〉そのものである。先生の宣言して曰く、今や『原典黙示録』は最終章「ワシントンD.C.の墓地」に突入した、と。『原典黙示録』とはまさに以上のような世界理解の方法論の徹底であるが――「黙示録」とはそうして発された〈言葉〉以外のものではあり得ない――、そこにおいて紡がれた〈言葉〉の内的必然性が、その〈語り〉の〈運命〉として、遂にその完結を告げているのである。