イタリア語講座 第17回(2/21)講義録

中垣太良

今回は講読に先立ち、ゲーズ語(古エチオピア語)及びその聖書資料について簡単な解説が加えられた。まず文法書として取り出されたのはThomas O. Lambdin, Introduction to Classical Ethiopic(Ge‘ez) (2006)である。本書は多量の練習問題を読者に課して習得させるスタイルで書かれているが、解答例は付属していない。またゲーズ文字そのものではなく、ローマナイズが行われている。これは専らゲーズ文字の活字の組みにくさによるものであり、Lambdinの文法書と並ぶJosef Tropper, Altäthiopisch : Grammatik des Geʻez mit Übungstexten und Glossar(2002)ーーなお、彼はUgarititische Grammikを著したように、ウガリット語の権威でもあるーーにおいても、やはり同様にローマナイズが行われている(この改訂版Classical Ethiopic: A Grammar of GəˁəzがRebecca Hasselbach-Andeeとの共著として2021年に出版されたが、ここでは活字の問題は解消され、ゲーズ文字が用いられている)。続いて、唯一と言っていいゲーズ語ー英語辞書として、Wolf Leslau, Comparative Dictionary of Ge‘ezが紹介された。さらにゲーズ語『マタイによる福音書』の校訂本Rochus Zuurmond, Novum Testamentum Aethiopice : Part3 The Gospel of Matthewが参照された。『マタイによる福音書』のゲーズ語資料は、Abbā Garimā修道院所蔵の二写本に基づくAテクストと、Dabra Māryām修道院の写本に主に基づくBテクストという二系統に分けられるが、本書は見開き左にAテクスト、右にBテクストを配置し、各々に膨大なCritical Apparatusを付している。

解説が終わると、『君主論』の講読である。今回の範囲は「献辞」(Dedica)の最終部分であった。

[6] Pigli adunque Vostra Magnificenzia questo piccolo dono con quello animo che io ‘l mando il quale se da quella fia diligentemente considerato e letto, vi conosceà drento uno estremo mio desiderio che lei pervenga a quella grandezza che la fortuna e l’altre sue qualità le promettano. E se Vostra Magnificenzia dallo apice della sua altezza qualche volta volgerà li occhi in questi luoghi bassi, conoscerà quanto io indegnamente sopporti una grande e continua malignità di fortuna.

というわけで、閣下におかれましては、私が贈り物に込めた意向とともに、この小さな贈り物を受け取られますよう。この贈り物は、もし閣下によって熟読玩味されるなら、閣下はその中に、私の熱烈な願いをお知りになるでしょう。幸運とご自身の資質とが約束するところの偉大さにあなたが到達するという願いを。そして、閣下のいらっしゃる高みの頂点から、時折(私のいる)この低き場所に目を向けてくだされば、私が不当にも運命の大いなる継続した悪意に耐え忍んでいることを知るでしょう。(拙訳)

前半部分において、いくつか文法上注意すべき箇所があった。

まず、“Pigli adunque Vostra Magnificenzia questo piccolo dono”の部分について。

“pigli”とは何であるか。pigliare「取る」の命令法二人称単数形だと考えると、敬称の“Vostra Magnificenzia”(「閣下」)が共起していることと整合しない。これは“Che pigli adunque Vostra Magnificenzia questo piccolo dono”のように接続詞cheを補った上で、「〜が…であらんことを(…せんことを)」(Che S+V)という、接続法の独立節における用法ーー英語の“God bless you!”や“God save the queen!”などと同様であるーーと考えるとすっきりする。つまり直訳すれば、「閣下(Vostra Magnificenzia)が、この小さな贈り物(questo piccolo dono)をお取りになられますように(pigli)」ということである。

いや、“Vostra Magnificenzia”は無冠詞で用いられているから、これは主格ではなく呼格に値するのではないか、という反論があるかもしれない。たしかに現代イタリア語からしてみれば、聞き手にとって明確に特定された名詞句が、わけもなく無冠詞で使われているのは不思議だーーメログラーニの訳でも、この部分は違和感のないように“la Vostra Magnificenzia”と書き換えられているーー。しかし今までの講義で解説されてきたように、マキャベリのイタリア語はラテン語的要素を多分に含む。そしてラテン語は冠詞を持たないことに鑑みると、彼が冠詞の有無を厳密に使い分けていたかどうかは疑わしいのではないか(これは私見である)。

続いて、“con quello animo che io ‘l mando”について。

まず“animo”であるが、Harvey C. Mansfieldの英訳注によれば、これは“spirit”を示し、“intention”(「意向」)の意でも用いられる、という。これを参考に、さしあたり「意向」の意味で訳出した。

そして、“che io ‘l mando”について。まず、“ ‘l ”という謎の語は何であるか。イタリア語では二つの語の間で母音が連続したとき、片方の母音が省略され、それを示すためにアポストロフィー(’)が付けられる(例:di oro→d’oro)。今回もそうだとすれば、“ ‘l ”は“il”・“al”・“el”などの省略形という可能性があるが、これでは意味が通らない。この部分はInglese版の校訂上の不備であり、本来は“che io lo mando”として読むべきであろう、と指摘された。じじつ、Mario Martelliによる国定版や、イタリア文学の全集La Letteratura Italiana: Storia e Testi(Riccardo Ricciardi出版)の第29巻に収められた『君主論』本文ではそのようになっている。こうした本文の校異は、手稿の扱いの違いによる。次に、“che”とはどのような意味であるか。Inglese版の注や英訳・仏訳を参考に、これは“con cui”(“with which”)の意味で解するのが妥当だろう、と。つまり、直訳するならば、”con quello animo che io ‘l(lo) mando”は、「私がこの贈り物(lo=questo piccolo dono)と一緒に送ったところの、私の意向(animo)とともに」という意味になろう。

さて、今回をもって、献辞(Dedica)を読み終えた。約4ヶ月の講義を経て、マキャベリの置かれた言語・文化・宗教・政治的状況とともに、彼の<声>はわたしたちに充分に浸透した。

彼は巷でイメージされるような権謀術数論者では決してない。彼は端的に<自由人>であったのであり、いかなる偽善にも惑わされぬ<眼>で世界を見据え、生き抜くための手段を講じ、それを人々に伝えたというに過ぎない。ここに先生とマキャベリの姿が重なる。それは自ら罠に陥ろうとする者たちに、ともに生き通そうと手を差し伸べるあたたかさ(熱さ)である。

講義ではついに『君主論』本文の読解が始まるが、わたしたちは読解と同時に、糖衣を纏ったイデオロギーに惑わされず、自らの<感性>にしたがって華やかに生きる先達から、<自由人>としての生き様をいよいよ学び取るだろう。

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