中垣太良
“Tutti gli stati, tutti e’ dominii che hanno avuto e hanno imperio sopra gli uomini, sono stati e sono o republiche o principati.” (すべての国家、人民に対して支配権を持つすべての政治権力は、それまで、あるいは現在、共和国であるか、君主国であるかのどちらかである。ーー拙訳)『君主論』本文第1章は、ラテン語による表題ののち、この一節から始まっている。さっそく読解に移っていく。
……と言いたいところだが、ここでわたしたちは、本文の構文分析にいきなり入る読み方を改めねばならない。「献辞」に取り組んだときはそうしたやり方で問題はなかったが、この本文を「献辞」部分のように気軽に読み進めていくのは危うい。
マキャベリはここで、“stati”(<stato)を分類しているが、そもそもこの“stati”とは果たして何か、その探究から始めねばならない。冒頭の拙訳では「国家」と安易に訳してしまったが、これは伊和辞書を引いて、その中の訳語でうまく当てはまりそうなものを選ぶ、というような生やさしい次元の問題ではない。当時の人々は“stato”なる言葉をどのような意識で用いていたのか、という、イタリア半島及びその周辺地域の政治状況と緊密に関係する問題なのである。
ここで取り出されたのは、シュロモー・サンド『ユダヤ人の起源:歴史はどのように創作されたのか』高橋武智監訳、佐々木康之・木村高子訳(原著מתיואיךהומצאהעםהיהודי?のSilvan Cohen-Wiesenfield・Levana Frankらによる仏訳Comment le peuple juif fut inventé—De la Bible au sionismeからの重訳である)、およびマヴロージン『ロシア民族の起源』石黒寛訳(原題Древняя Русь : происхождение русского народа и образование Киевского государтсва)であった。前者の監訳者曰く、サンドの言わんとする“nation”に対し、定番の訳語である「国民」「民族」どちらもぴったりと合わないため、これを「ネイション」として訳した、という。また、後者の訳注は、日本語では「民族」の訳語で一括りにされてしまう“народ”、“этнос”、“этническая общность”、“племя”、“народность”、“нация”といった諸概念は、ロシア民族学においてそれぞれ厳密に区別されることを指摘している。
このように、論の根幹を支える用語については、訳語の選定は一つの立場の表明に他ならないのである。マキャベリは“stato”における君主の統治について論を展開していくわけだが、そもそも彼は“stato”をどのような意味合いで用いているのか。これは書き手の側の立場から読むという、正確な読解に必要不可欠な態度から生まれる問いである。次回は原典研究所の蔵書を結集し、この問題について探究が行われることだろう。