『原典黙示録』第96回(3/26) 講義録

『原典黙示録』第96回 講義録

田中大

今回講じられたのは、古典ギリシア語文献総論である。これは西洋精神の根源にアプローチし、自らその〈文体〉を掴み取るための最良の手解きであった。

古代ギリシア哲学文献については、まず定番の『ソクラテス以前のギリシア哲学者断片集』H. Diels & W. Kranz, Die Fragmente Der Vorsokratiker (3vols.)が登場した。そしてここに含まれる初期ギリシア哲学者一人ひとりについて個別にテクストを整理し訳注を附した研究書のシリーズとしてはThe Phoenix Pre-Socraticsがある。今回はその一冊としてT. M. Robinson, Heraclitus: Fragments: A Text and Translation with a Commentaryが紹介された。また、大家が集まり執筆した初期ギリシア哲学研究アンソロジーとしてD. J. Furley & R. E. Allen (eds.), Studies in Presocratic Philosophyが、古代ギリシア哲学史の概説書としてK. F. Johansen, A History of Ancient Philosophyが登場した。

さらにプラトンについてはBurnet版全集(全5巻)や、E. A. DukeD. B. Robinsonらによる最新版全集(全5巻、現在第1巻のみ刊行)はもちろんのこと、原典研究所の誇る大稀覯書Stephanus版(全3巻)、Stallbaum版(全10巻)、Didot版(全3巻)――本書にはプラトン思想がヨーロッパ世界に認知されるきっかけとなったFicinoのラテン語訳が附されているが、これはまさにルネサンス思想の源泉となった歴史的訳業である――の全集までもが参照された。またFicinoのプラトン研究の集大成であるTheologia PlatonicaJames HankinsWilliam Bowenらによる新校訂版は本教室の所蔵するところである――なお、彼の生涯と思想についてはP. O. Kristeller, Die Philosophie des Marsilio Ficinoが現在でも参照価値のある概説書である――。プラトンの本文伝承については、H. Alline, Histoire du texte de Platonが基本文献として紹介され、さらにプラトン本文が保存されていたビザンツ帝国に関してはA. P. Kazhdan, The Oxford Dictionary of Byzantium (3vols.)が包括的な辞書として参照された。また、G. Grote, Plato and the Other Companions of Sokrates (3vols.)はプラトン対話篇に登場する様々な人物について知る助けとなる優れた研究書である。

最後にアリストテレスについては、Bekker版全集のほか、特にその主著『形而上学』本文として、Studien zur Entstehungsgeschichte der Metaphysik des Aristotelesにおいてアリストテレス『形而上学』の発展史的解釈による分析を展開してその研究史に一石を投じたWerner W. Jaegerによる校訂版が登場し、さらには彼の研究の集大成であるPaideia. Die Formung des griechischen Menschen (3vols.)も繙かれた。

講義は続けてホメロス文献学に入った。まず登場したのはこちらもまた原典研究所の誇る大稀覯書であるStephanus版『ギリシア主要英雄叙事詩人集』であった。本書には無論ホメロスの叙事詩も収録されており、今回の講義で受講者はその実物を手に取り眺める僥倖にめぐまれた。20世紀初頭に刊行され100年ほど基本テクストとして用いられていたホメロス本文がD. B. Monro & T. W. Allen (eds.), Homeri Opera (5vols.)である。近年これに取って代わったのがMartin L. Westによって校訂された本文で、講義の中では『イリアス』、『オデュッセイア』校訂本文M. L. West(ed.), Ilias (2vols.)M. L. West(ed.), Odysseaが紹介された。試みに両者を瞥見して比較するだけでも、West版のcritical apparatusの充実ぶりが圧倒的であることが一目でわかる。こうしたことを生で確認するだけでも、それは大きな学びであり成熟の一歩なのである。

続いてコンコーダンスとしてG. L. Prendergast, A Complete Concordance to the Iliad of HomerH. Dunbar, A Complete Concordance to the Odyssey of Homerが、ホメロス専門辞書としてR. J. Cunliffe, A Lexicon of the Homeric Dialectが紹介された。さらにホメロス文法の入門書としては、100年以上前に刊行され現在でも読み継がれているD. B. Monro, Homeric Grammarや、ホメロス本文の読解を通じて帰納的に文法を解説したC. Pharr, Homeric Greek: A Book for Beginners、そして包括的なホメロス文法書P. Chantraine, Grammaire Homerique(2vols.)が登場した。ギリシア語詩のシンタックスについては、V. Bers, Greek Poetic Syntax in the Classical Ageが、その韻律については、M. L. West, Greek MetreD. S. Raven, Greek Metre: Introductionが教室所蔵の文献として紹介された。

J. D. Denniston, The Greek Particlesはギリシア語読解のための必携の書であるが、著者Dennistonは後述の『オックスフォード古典事典』The Oxford Classical Dictionary第2版の編者に名を連ねており、彼の著作としてギリシア語散文発達の歴史を概説したGreek Prose Styleが紹介された。

ホメロス本文の伝承については、R. Pfeiffer, History of Classical Scholarship: From the Beginning to the End of the Hellenistic Ageが詳細な記述を含む名著である。最近刊行されたホメロス概説書としてはI. Morris & B. Powell(eds.), A New Companion to Homerがあり、またM. Finkelberg, The Homer Encyclopedia (3vols.)は10年ほど前に刊行された唯一のホメロス百科事典である。

ここでホメロス研究に革命を起こした最重要文献として、A. Parry(ed.), The Making of Homeric Verse: The Collected Papers on Milman Parryが登場した。本書は夭逝した本人に代わって息子が刊行した論文集である。Antoine Meilletの弟子であったMilman Parryはセルビア・クロアチア語の口承詩の研究を補助線としながら、ホメロスの叙事詩が口承詩として作り上げられてきたというアイデアに基づいてその構造の解明を試みた。このOral-formulaic theoryはホメロス叙事詩を「書かれたもの」と見做して解明しようとしていた従来の研究の方針を完全に一新することとなったが、これはまさしく〈記述論〉的な発想の転換であったといえよう。

続いて、ギリシア語の概論としてはL. R. Palmer, The Greek Languageが登場した。本書の著者は有用な言語概説書のシリーズとして以前にも参照されたThe Great Languagesの監修者であり、またこの叢書に収録されているThe Latin Languageの著者でもある。本叢書のThe Greek LanguageB. F. C. Atkinsonが執筆していたのだが、その刊行後に線文字Bが発見・解読されたため、それによって刷新されたギリシア語研究の成果を踏まえてPalmer自身が改めて本書を執筆したのである。加えて先生によって推奨されたのは碩学による概説書A. Meillet, Aperçu d’une histoire de la langue grecqueであった。同著者による姉妹書Esquisse d’une histoire de la langue latineも名著として言及された。

最後に西洋古典学全般をカバーする基本的な辞書として、S. Hornblower, A. Spawforth & E. Eidinow (eds.), The Oxford Classical Dictionaryが紹介された。そして注目すべきは続いて登場した奇書「ランプリエールの辞書」J. Lemprière, Bibliotheca Classica; or a Classical Dictionaryである。これは18世紀の古典学者Lemprièreが独力で学生時代にわずか18ヶ月ほどの期間で書き上げたものである。多数の専門家が集まって分担執筆した現代の辞書とは異なる、天才の創造性が存分に発揮された知る人ぞ知る名著、まさにここまでの文献学入門連続講義を締めくくるのに相応しい一冊であった。

以上が今回の講義を彩った古典ギリシア語テクスト関連の主要文献であった。そしてこれにて半年ほどに亘って行われてきた一連の文献学入門連続講義は完結した。この期間に登場した書物だけでも、おそらく数百冊に上るだろう。こうしたアナログ的な知が忘却の淵に沈みつつある時代に、膨大な書物が受講者の目の前で繙かれ、われわれの記憶と、この講義録に、確かに刻み付けられたのであった。この講義はまさしくそれ自体が、文明の氾濫の時代から文化を守り抜く孤高の大事業である。私は書物の山々に囲まれながら語られる先生の姿に、『弁明』におけるソクラテスの最後の言葉「だが、もう去る時だ、私は死ぬべく、諸君は生きるべく。われわれのうちどちらがよりよき運命に向かうのかは、誰にもわからないのだ、神を除いて。」ἀλλὰ γὰρ ἤδη ὥρα ἀπιέναι, ἐμοὶ μὲν ἀποθανουμένῳ, ὑμῖν δὲ βιωσομένοις: ὁπότεροι δὲ ἡμῶν ἔρχονται ἐπὶ ἄμεινον πρᾶγμα, ἄδηλον παντὶ πλὴν ἢ τῷ θεῷ.Α᾿πολογία Σωκράτους)という峻厳なる〈決断〉を仰ぎ見る。死力を尽くした〈講義〉を続けられている先生に、改めて万謝の念を捧げたい。

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