中垣太良
今回は講読に入る前に、“stato”についての補足講義が行われた。先生曰く、日本語の訳語としてひとまず「国体」を挙げたが、英訳するならば“constitution”となろう、と。ここで参照されたのは、J.R.ヘイル(編)・中森義宗(監訳)『イタリア・ルネサンス辞典』(東信堂)〔原題The Thames and Hudson Dictionary of the Italian Renaissance〕であった。 同書は“Constitution”の項において、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、教皇国家などによって併合された都市の市民たちはなお、「自らをそれぞれの地元のコムーネの成員と考え続けた」(269頁)と述べている。上記のように一枚岩とは言えない構成の“stato”に対しても、“constitution”は、語源的にーーラテン語constituere「構築する、構成する」を源とするのであるからーー確かに嵌る。
さて、補足が終わると本文に入る。
([3]後半部) perché basta solo non preterire l’ordine de’ sua antinati e di poi temporeggiare con gli accidenti; in modo che, se tale principe è di ordinaria industria, sempre si manterrà nel suo stato se non è una estraordinaria et eccessiva forza che ne lo privi: e privato che ne fia, quantunque di sinistro abbi l’occupatore, lo riacquista.
([3]後半部) なぜなら、先祖の築いた秩序を放置しておき、そして事件の際、臨機応変に対処するだけで足りるからである。そうしたやり方により、もしこのような君主が普通の勤勉さを持っていれば、君主からその地位を奪おうとする並外れて大きな力が存在しないかぎり、彼は自身の君位に常にとどまることであろう。そして、たとえ君位を奪われたとしても、簒奪者が不運に見舞われるたびに、それを取り戻すことができるのである。(拙訳)
いくつか語学的に注意すべき箇所と、個人的に気にかかった箇所について記しておきたい。
まず、“se non è una estraordinaria et eccessiva forza che ne lo privi”の部分について。“essere”が「存在する」の意ーーこれは「神が存在する」といったような、特殊な文脈で用いられるのが普通であるーーで用いられているのが興味深い。
次にコロン(:)後の“privato che ne fia”であるが、この“che”は果たして如何なる機能を果たしているのか。“che”には「たとえ〜であっても」という条件節を導く用法があるから、“Che ne (=dello stato) fia (=sarà) privato”という語順であれば、無理なく「たとえ君位を奪われたとしても」と訳せる。しかし原文では、privato(<privare「…を奪う <di>」の過去分詞)がcheより前に出現している。この奇妙な語順の原因もまた、ラテン語的発想で語順を自由に組み替えるマキャベリの文体に帰せられるのだろうか?
続いて、“quantunque”は通常、「〜ではあるが;たとえ〜としても」という譲歩か、「〜とはいえ」という逆接を示す接続詞として用いられる。だが、Inglese版の注によれば、この部分の“quantunque”は、「〜する度ごとに」(“ogniqualvolta”)を表すと同時に、「部分の補語」(“il complemento partitivo”)を取り、「不運の全て」(“tutto ciò che di avverso”)の意も示しているという。これについては次回の講義で解説が加えられると予告された。