「新年のメッセージ」への「返信」

〈メタ言語〉によって〈世界〉を読み解くことを知ったならば、〈対話〉がいつも言葉と言葉で行われなければならないわけではないこともまた理解できるでしょう。本年正月、原典研究所に通う我々の心に日々湧き起こる〈啓発〉の喜びと、原典研究所の活動において意味ある存在たらんとする「自己主張」を込めて、そして[あらゆる修飾を廃した]「お礼」の心を込めて、塾生有志よりささやかなるご寄附を献呈いたしましたが、二月十三日、先生より「新年のメッセージ」としてご返信を頂戴し、ここに〈対話〉の一往復がひとまず完了しましたことをご報告いたします【先生のメッセージは www.genten.tokyo/blank-14を参照】。

その中で先生は稀覯書購入の経緯と併せ、原典研究所で何をしてきたか、何をしているか、なぜ原典世界史講座を開くことが、そして百五十回を以て終えることが必然的であったのか、そもそもなぜ原典研究所を創設したのか、自ら〈説明責任〉を果たされました。とすれば、わたくしはわたくしの〈説明責任〉を果たさねばなりません。

結局、我々はあの原典世界史講座が何であったのか、分かっていなかったのです。いや、分かってはいたが、語ろうとすると分からなくなっていたのでした。講座の続いた三年あまりの年月を語ることは出来ても、それを〈記述〉することは出来ずにいたのでした。

しかし〈答え〉はやはり〈記述論〉の中にありました。『神々は記述に宿る』ことと『記述者の誕生』ーーこれらを糾った一本の縄。我々には今これが見えています。

そしてその縄の上を渡ってゆく見馴れた人影も見えています。

興味深いことに、先生の文章には[小説にはつきものの]〈登場人物〉がいます。顔も名前も知らない、あるシュメール人です。しかし先生の文章をひとたび読んだならば、彼の表情は脳裏に刻印され、一生涯消えることがないでしょう。初めに〈神々〉に「息を吹き込んだ」者。我々には今これが見えています。

以上は原典世界史講座の参加者としての〈説明責任〉ですが、わたくしはもう「一事」申し述べねばなりません。というのも、わたくしは先生に〈テクスト〉を書くことを要求した張本人だからです。先生が敢えて「公開書簡」の形でメッセージを下さったのに対し、わたくしもまた同様のお返しをせねばなりません。それは原典研究所の今後に関する「予想」です[が、半ば「要求」であると言われても反論の余地はありません]。

今後、このメッセージが〈テクスト〉となるであろう。このメッセージは「終始座右に置いて」「参照」されることになるだろう。授業はことごとくこのメッセージの〈註記〉となるだろう。

ーーところで、先生は近来中世・ルネサンスの作品を読むことに身を投じておいでであり、元日にもシェイクスピアについてお話を伺ったことは以前記しました。お話を伺ったり、『「バルタザール」考』を思い出したりしているうちに、また見えてきたものがありました。シェイクスピアの後姿です。

シェイクスピアといえば誰しもあの忘れ難い肖像画を思い浮かべるでしょう。研究者も読者も、シェイクスピアの〈演技〉を観、こちらに向けている顔しか見ていません。しかし先生はシェイクスピアの背後を取った。それが『「バルタザール」考』です。シェイクスピアは「忽焉在後」と歎ずることでしょう。

今後、文学に跋渉の範囲を広げた先生の「第三の人生」において、教室は〈舞台〉となり、先生は〈役者〉となって、「厳粛な綱渡り」を演じてゆくであろう。我々は〈共演者〉となり、やがて〈記録者〉となり、やがてーー

読者の瞼の裏にプラトンの〈一場面〉が浮かんだであろうことを期待してこの「返信」を終えます。最後まで〈責任〉を果たす覚悟であることは言うまでもありません。

(三村)

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