『原典黙示録』への船出(1/11・1/18)

『原典黙示録』への船出  田中大

去る2020年1月11日、『原典黙示録』(ウンベルト・エーコ著『プラハの墓地Il cimitero di Praga』講義)が開講された。ついては、講義録の投稿に先立ち、第1回、第2回の講義について、そこで私が垣間見た〈展望〉を〈記述〉しながら考察してみることにしたい。

『プラハの墓地』は、偽書『シオンの議定書』の成立について書かれた小説作品[=fiction]である、というよりも――エピグラフをもってエーコが示しているように――、小説を装った作品であると言うべきだろう。しかしだからといって、この作品が単なる「事実」の記録という意味での実話[=non-fiction]である、ということもない。そもそも主人公シモーネ・シモニーニは「架空」の人物であるし、それを取り巻く出来事にも巧妙に「虚実」が織り交ぜられている。

では一体、『シオンの議定書』という〈テクスト〉について書かれたこの書物はいかなる《テクスト》なのだろうか。本書の主題である『シオンの議定書』は偽書である、すなわち、それ自体は虚構[=fiction]である。しかし、それは様々な言語に翻訳されて普及し、事実[=non-fiction]として広く信じられ、受容されてきた。本〈テクスト〉が辿ってきたこのような運命を鑑みれば、これはむしろ〈偽典〉と呼ばれるべきかもしれない。そしてこれは〈偽典〉であるがゆえに、現実に世界史の原動力となった。これは〈記述論的問題〉であって、このような〈事態〉は、「〈言語主体〉であるという〈運命〉を課されたわれわれにとって実在[=non-fiction]とは何であるか」という〈記述論的問題意識〉のもとでのみ理解することができる。したがって――「虚構とは何であるか」という問題意識のもとで書かれた作品のジャンルをmeta-fictionと名指すことに倣うならば――、この作品はmeta-non-fictionという《記述》のジャンルに属するものとして理解されるべき《テクスト》であるということになる。

この作品が語るのは〈記述論的歴史〉である。すなわち、史実を単に記録するだけの「実証主義的歴史」[=「non-fictionとしての歴史」]でもなければ、ある〈記述のレベル〉のもとにすべてを一元化して歴史を記述する「イデオロギー的歴史」[=「fictionとしての歴史」]でもない。〈歴史〉とは〈記述されたもの〉であり〈解読されたもの〉であるということを忘れてはならない。〈歴史〉の舞台は「地球」ではなく〈世界〉であるのだから、〈歴史〉は「地質時代」のように実証的に描くことはできないし、そもそもここでは、実証主義が拠って立つところの「真理の対応説」的発想は意味をなさない。また、一つのイデオロギー[=一元化された〈記述のレベル〉]という箍をはめ込まれることによって見出される歴史は、その〈記述の内部〉にいる人間にとってのみ意味をもつものであるに過ぎない。これら二種類の歴史が基づくところの〈地平〉においては、〈言語主体〉であるわれわれにとっての本当の意味での〈実在性〉は成立し得ない。エーコが実証主義に立たないことは先述したとおり自明だが、エーコがいかなるイデオロギーからも〈端的に自由に〉語ろうとしていることは、彼がこの作品をモベール広場――この場所において焚刑に処された自由思想家エティエンヌ・ドレを〈読み手〉のうちに〈喚起〉する――の情景から語り始めていることのうちに暗示されている。

エーコは、『シオンの議定書』という〈テクスト〉――これは近現代の〈世界〉における〈イデオロギー闘争〉の一つの重心である――の[架空の]著者《シモーネ・シモニーニ》を一つの[虚]焦点――ここで「架空の」、「虚」といった枕詞が付されるのは、あくまで「[実証主義的]史実」に即していないということを示しているだけのことに過ぎない――として据え、それによって〈正確に〉統御された一連の〈記述のレベル〉を措定することで〈記述論的に〉〈歴史〉を〈記述〉している。このようにして語られた〈歴史〉は、「すぐにでも起こるはずのことἃ δεῖ γενέσθαι ἐν τάχει」にわれわれが対するための《視座》を与えるものとなるだろう。

一昨年の夏に大団円を迎えた『原典世界史概説』は、さながら古代の〈記述者〉が誕生すると同時に語られた〈世界〉の《創世記》であり、また〈記述〉に宿った〈神々〉の声を聴く《福音書》でもあった。この『概説』によって示された〈起源〉が必然的に至りゆくところを見据えながら、エーコの語る〈記述論的歴史〉の《註釈》を行うこの講義は、《記述論》という無限の大言海の果てをゆく最後の船旅であり、《黙示録》であるのだ。

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