『原典黙示録』第7回 講義録
田中大
今回の講義では、前回に引き続き、『プラハの墓地』に登場する固有名詞の〈意味〉が問題とされた。前回探究がなされたシモーネやモルデカイという名について、また改めて別の辞書が〈参照〉され、記述論的〈読解〉の具体的方法論が提示された。
固有名詞の〈意味〉を明らかにするということ――「『バルタザール』考」の表現を用いるならば、名の〈表象的意義〉を明らかにするということ――とは、一体何をすることなのか。それはある名について歴史的ないし意味論的に遡源し、それが指し示していたところの原初の意味を明らかにすること――『クラテュロス』においてソクラテスが戯れに行っているような、あるいは第6回の講義録において私が簡潔に併記したような語源分析――ではない。それは、その名をめぐる諸テクストを連想に導かれて遍く通覧し、その名にまつわる〈歴史〉を初めから終わりまで辿ることで、ひとつの〈文化〉において蓄積されてきたその名に関する〈全表象〉を自らの〈意識〉でもって〈追体験〉することである。これは〈テクスト〉を通して〈作者〉の〈全体験変容〉を〈追体験〉するための必要条件である。何となれば、それこそが〈テクスト〉の「いかに読まれるべきか」ということを探る一つの出発点となるからである。〈テクスト〉とは、それが「いかに読まれるべきか」ということがその内に含まれているものである、したがって〈テクスト〉を〈正確に〉〈読む〉ためには、何よりもまずこのことが明らかにされねばならない。そしてこのように読解し始めることによってのみ、単なる恣意的な「読み」ではない〈読み〉が可能となって、〈読者〉による〈追体験としての共有〉が成就されるのだ。
今回の固有名詞の〈意味〉の解明のために用いられた書物も含めてこれまでの講義に登場してきた何十冊もの書物、またこれからの講義に登場するであろう何百冊、何千冊もの書物は、『プラハの墓地』を焦点として間テクスト的なネットワークをなしている。エーコの〈テクスト〉は19世紀に乱立したイデオロギーの闘争について書いたものであるから、この〈テクスト〉を〈読解〉する過程でわれわれが得るさまざまな知識も、それ自体が〈自由〉について何事かを知らしめてくれるのだけれども、もう一段階メタ的な視点で見るならば、われわれはいずれこの記述論的〈読解〉を通して、この間テクスト的ネットワークの上で、端的に〈自由な〉〈他者〉と出会うことになるだろう。このようにして〈自由人〉同士の〈倫理〉が切り拓かれる場こそが《記述論》にほかならないのであるから。