『原典黙示録』第8回 講義録
田中大
『プラハの墓地』序盤において、主人公シモニーニが以下のようなことを語っている。
例のゴビノーが人種不平等論を唱えて以来、人が別の民族の悪口を言うのは、自分の民族が最高だと主張するためらしい。(『プラハの墓地』p.17)
今回の講義は、この一文から敷衍して、驚嘆すべき壮大な〈問題系〉へと展開した。
手始めに先生が「ゴビノー」という名を平凡社の『哲学事典』で引くと、そこにはおよそ次のような内容の記事が掲載されていた。彼は『諸人種の不平等性についての試論』Essai sur l’inégalité des races humainesを著し、本書において各人種の精神的能力には乗り越えようのない優劣の差があるために、彼らの創り出すことができる文明の程度にも差があって、中でも最高級の文明をもつのはゲルマン民族であると主張した。またこの理論はナチスドイツの思想に受け継がれたといわれる。
ゴビノーが提唱したような人種不平等論は19世紀以降の西洋を席巻したひとつのイデオロギーであるが、その起源となったといえるのが、ゴビノーと同時代人のインド学者、フリードリヒ・マックス・ミュラーである。彼は『リグ・ヴェーダ・サンヒター』Rig-Veda-Samhitā――講義では実物が登場した――をイギリス東インド会社の出資を受けて校訂・翻訳・出版した――後述するように、この〈問題系〉は19世紀以降の西洋の帝国主義という問題にも波及してゆくことになる――インド学の先駆者である。彼は古代インドのサンスクリット語や、古代イランのアヴェスター語――講義においてはこの言語に言及がなされるとすぐさま、アヴェスター語辞典C. Bartholomae, Altiranisches Wörterbuchが参照されたが、たとえこうした一瞬の言及に対してであっても、このような「本物」が実際に繙かれ、受講者がそれと対面する〈体験〉を得ることができるのが原典の講義である――などのインド・イラン語派に属する言語に見られる「アーリア」(サンスクリット語:आर्य、アヴェスター語:airya)を特定の人種を指す概念として捉え、かつそのアーリア人がインドに侵入して原住民を支配し、その上に君臨したというアーリア人インド侵入仮説を立てた。
では、この「アーリア」とは何か。講義ではこの問いを出発点として、原典式のアナログ検索が実演された。まず、19世紀に編纂され、今なお世界最大のサンスクリット語辞書の地位を保ち続けているサンスクリット語の大辞典O. Böhtlingk & R. Roth, Sanskrit-Wörterbuchで「アーリア」が検索されると、当該項目にはまず形容詞として、 “anhänglich”、 “treu”、 “ergeben” (いずれも「忠実な」「誠実な」というような意味)といった訳語が並んでいた。そしてそれとともに、人種名としての意味も掲載されており、“Arier, ein Mann der berechtigten Nation”(「アーリア人、由緒ある民族の人間」)とあった。続けて、梵英辞典M. Monier-Williams, A Sanskrit-English dictionaryで「アーリア」が検索されると、まず名詞として、“a loyal or faithful man”、 “a man of one’s own race”、 “a respectable, honourable man” といった訳語が挙げられており、そしてその次には人種名“Aryan”という意味が乗っていた。つまり、独語、英語の権威あるサンスクリット語大辞典は、いずれも人種名「アーリア人」を「アーリア」の訳語として提示しているわけである。
しかし、先生はこのように「アーリア」を人種名として解釈することは果たして正当であるのかということを問題とした。このことを考えるにあたって、先生はまずギリシア語において「アーリア」とar-を共有する同根語(cognate)の存在――講義の中ではἈριστοτέληςもその一つであるという先生の洞察が示された!――を指摘し、その一つであるἄριστοςという語がH. G. Liddell & R. Scott, A Greek-English Lexicon(LSJ)で検索された。そこにはまず一般的な意味として “best in its kind, and so in all sorts of relations” とあり、また “of persons” として、 “best in birth and rank, noblest” とあった。つまりこの語が人に用いられる場合には、人種とは無関係に、純粋に「人が高貴であること」を示す語であることがわかる。「アーリア」という語もこれと同様だとすれば――そもそも「アーリア人」という人種概念が成立する確たる根拠はない――、そこにはいかなる〈事態〉が出来しているのか。
マックス・ミュラーは「アーリア」を単なる形容詞ではなく人種の名であると考え、そしてこの学説は西洋のインド学者たちだけに止まらず、西洋の一般の人々や、日本人を含む東洋の人々にまでも広く浸透した。これは単なる誤った概念の創出ということに止まらない決定的に重要な意味をもっていた。彼は〈テクスト〉を研究する過程においてひとつの記述論的〈転換〉を引き起こしたと言ってよいであろう。「アーリア人」なる人種概念を措定し、それに基づいて歴史を構築してゆくならば、そこにはそのような〈文体〉でものを見る者にとっての〈世界〉が生じる。それはやがて白人種の優等性を主張するイデオロギーとなって19世紀の西洋を席巻し、これが帝国主義時代以降の歴史の原動力となっていった。マックス・ミュラーは後になって、アーリア人仮説は単に語学的な観点から考察した結果を述べた理論に過ぎず、人種の優劣を主張するための理論ではなかったと弁明したとのことであるが、ひとたび誕生してしまったイデオロギーに対して、そのような弁明が何の力も及ぼし得なかったのは当然のことと言わねばなるまい。
それだけではない。インド学者たちが西洋の学者のもとでインド学を学んだということも、無視してはならない問題である。例えばわが国でインド学・仏教学を牽引した南条文雄――講義の中では彼の回想録である『懐旧録』が参照された――や高楠順次郎のいずれもマックス・ミュラーに師事していた。西洋だけでなく日本のアカデミズムの世界においても、この記述論的〈転換〉が〈制度〉の中で受け継がれ、現在にいたるまで再生産され続けている。この〈問題系〉はこうしてアカデミズムの〈制度〉という人間の知的営みにおける〈問題〉へも及んだのである。こうした問題をインド学という主題からも離れてより一般的に、アカデミズムの〈制度〉と「文化工作」という〈問題〉一般の〈地平〉において捉えるならば、それ自体も、われわれ日本人――特に戦後の――にとって無縁なことがらではあり得ないと言えるだろう。
これまでの講義では、主にユダヤ主義/反ユダヤ主義にまつわる事項が問題とされてきた。しかし先生によって指摘されたように、アウシュビッツ――すなわち『プラハの墓地』がその物語の結末の先に暗示しているカタストロフ――へと通じる道は、それだけではなかった。今回の講義で論じられた19世紀の人種不平等論は、そこへと至るもう一本の道である。そしてこの理論にとって不可欠であったマックス・ミュラーによる研究を含む19世紀の西洋におけるインド学の成果は、古代世界の言語史・宗教史・文化史一般を扱った『原典世界史概説』と本連続講義との合流地点となった。
そしてこのことは必然的であった、と私は思う。われわれがそれを引き受けて生きるところの歴史――とりわけ古代世界の歴史――について何かを知ろうとするとき、そしてそのために残された史料から何かを読み取ろうとするときには、われわれは常にマックス・ミュラー――彼には〈テクスト〉との〈対話〉を試みる意識が欠けていたのだろうと私は考える――が陥った罠と同じ罠に陥りうる。なぜなら、このような探究はわれわれの存在の〈無根拠性〉とでも言うべきものに対して、直接的に「答え」を与えてくれるように思えるからである。しばしば、こういった「答え」を得ることが大地に根差した生を営む必要条件であり、そうすることによって初めて実存的な問題に最終的な解決が見出されるのだということが言われる。しかし、本当の意味で大地に根差すということは、このような「答え」を得ること――そもそもこのような「答え」というものは本来あり得ない――でもなければ、その「答え」に執着することでもない。〈記述論〉は生活者の知恵としての〈リアリズム〉であり、その意味で大地に根差したものであるけれども、このような「答え」への執着とそれによって生じるイデオロギーに与することははない。むしろそこから〈自由〉である者だけが本当の意味で〈運命〉を愛することができるのであって、このことを心得た者にとっては実存的な問題など自ら囚われようとする者だけが囚われる問題でしかないだろう。
われわれに残された〈テクスト〉に対して、われわれはどのような態度で臨むべきなのかということについて、私は今回の講義から大いに学びを得た。われわれはこういった遺産に対しても、徹底的に、端的に〈自由な〉精神をもって対峙せねばならないのだ。そのようにして初めてわれわれは〈テクスト〉との〈対話〉を成功させることができるのであり、このような仕方で〈読解〉しない限り、「〈テクスト〉を読む」という行為は無意味なのだから。