『原典黙示録』第9回(3/14) 講義録

『原典黙示録』第9回 講義録

田中大

今回から次回にかけて、二回に亘り主題となるのは、「ユダヤ人とは誰か」という問題である。まず、先生が指摘したのはユダヤ人には二重のイメージがあるということだ。彼らにはバビロン捕囚の時代からアウシュビッツに至るまで、迫害され続けた歴史の被害者というイメージと、ロスチャイルドなどに代表されるような、世界を牛耳る大資本家という相反する二つのイメージがある。この二回の講義においては、この二重のイメージがユダヤ史の両端を考察することで解き明かされていき、それらの焦点において、「ユダヤ人とは誰か」ということが立体的に浮かび上がることになるだろう。

今回はユダヤ史の発端であるユダヤ人の起源について明らかにされた。まず「ユダヤ人はどこから来たのか」という問いが立てられ、それを考えるにあたってユダヤ教の一神論の起源について二つの書物が参照された。

まず参照されたのが、J. K. Hoffmeier, Akhenaten and the Origins of Monotheismであるが、本書はアメンホテプ4世が従来の神々への崇拝を廃し、唯一神アテンの信仰を開始した宗教改革――受講者は講義の中で当時の歴史を物語る一次資料J. A. Knudtzon, El-Amarna-Tafelnを拝した――の後、再び信仰が多神教へと戻った際に都テル=エル=アマルナから脱出した人々こそがユダヤ人の起源であり、一神教もかの地から引き継いだものであるという説を唱えている。さらにもう一冊、M. S. Smith, The Origins of Biblical Monotheism が参照された。本書の議論によれば、ユダヤ教の一神論はバビロン捕囚時代形成され、ユダヤ人はゾロアスター教――しばしば二元論的宗教とされるが、その本質においては最高神アフラ・マズダを奉ずる一元論的宗教であることが先生によって指摘された――の影響を受け、一神教化したという。

いずれにしても、彼らは初めから「カナンの地」にいたわけではなく、別の地でにおいて一神教的発想を取り入れてこの地にやってきたということになる。そして講義の最後には、「ヘブライ」という語について重大な論点が示明らかにされた。 “apiru” (あるいは “habiru” ,  “hapiru” )という語は、いわゆる「肥沃な三日月地帯」の諸地域の言語において「向こう岸の人間」という意味であり、どこから来たのか不明な、なじみのない人々をこのように呼んだのであるが、これが「ヘブライ」の語源となったという先生の考察が示されたのである。このようにして、『プラハの墓地』に登場する固有名詞を分析したように、「ヘブライ」の意味を〈記述論的に〉古代へと辿ることで、ユダヤ人は、その出自においてすでに、現地の人間にとっては「他者」として存在していたということが明らかにされたと言えるだろう。

今回の講義ではユダヤ人の歴史の一端、すなわちその起源について解き明かされた。次回はその別の一端、すなわち近現代においてユダヤ人がいかにして金融資本家として力をもったかということが解明されることになる。

 

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