『原典黙示録』第15回(7/4) 講義録

『原典黙示録』第15回 講義録

田中大

今回は講義の初めに、これまで言及されなかったユダヤ人たちの知的遺産として、ユダヤ哲学の諸文献が紹介された。

まず、ユダヤ哲学の最高峰であるところのモーゼス・マイモニデスの主要著作として、彼がタルムードについて包括的に論じたハラーハーである『ミシュネー・トーラー』第1巻の『知恵の書』The Book of Knowledge、そして彼の主著である『迷える者の手引き』The Guide for the Perplexed、彼の医学関連のテクストを集めたMedical Aphorisms: Treatises 1-5, ed. and trans. by Gerrit Bosがそれぞれ参照された。また、アリストテレス哲学をユダヤ思想に積極的に取り込んだマイモニデスに対して、反アリストテレス哲学の立場をとったユダヤ思想家の代表であるハスダイ・クレスカスのテクストを集めたCrecas’ Critique of Aristotle, ed by Harry Austryn Wolfsonも繙かれた。彼らを始めとする数多の思想家たちによって紡がれてきたユダヤ哲学は、これまでに見てきたようなユダヤ人独自の宗教思想とは異なって、ヨーロッパ哲学の受容によって構築されてきたものであるが、こうした西洋人とユダヤ人との思想上の交流の濃淡は、現実社会における両者の関わり方と表裏の関係にある。

マイモニデスやクレスカスの活躍した近代以前においては、ユダヤ思想とヨーロッパ哲学との相互の接触は断続的になされていたとはいえ、それ以後の時代に比べれば表面的なものであった。思想上においても、そして現実社会においても、両者の影響関係が強まっていくのは18世紀中葉の啓蒙主義の時代以降のことである。啓蒙思想の影響の下で起こったフランス革命においてユダヤ人の問題が政治上の問題として出来し、19世紀の初めにはナポレオンがユダヤ人を解放したのであった。それ以来、ユダヤ人はヨーロッパ社会において市民権を得るとともに、ヨーロッパ人と異なる思想や習俗を堅持する彼らがヨーロッパ社会へ浸透し繁栄を享受したことは、両者の間に埋めがたい溝を生じさせた。1880年代頃にはヨーロッパ人の側で反ユダヤ主義が勃興し、また1890年代にはユダヤ人の側にシオニズムが生じて、両陣営の対立は激化した。『シオン長老の議定書』が書かれたのはこうした時代においてであった。

『議定書』は偽書であったにもかかわらず、〈真実〉の響きをもって反ユダヤ主義者たちを駆り立て、20世紀のカタストロフを引き起こす一つの要因となった。碩学エーコが〈メタ・ノン・フィクション〉という〈文体〉において、日単位の詳細な行動記録が残っているユダヤ人フロイトを参照枠とした緻密さと、いかなるイデオロギー対立にも与さない慎重さをもって論じようとしたのは、歴史的大事件の発する目に痛ましい閃光をもって歴史を照らし出そうとする営みからはちょうど影となって見えない暗がりの中にあって、謎めいた歴史のエピソードとしてしか語られてこなかったにもかかわらず、歴史を〈正確に〉理解するための要訣であるような、そういった〈問題〉である。そして先生が強調するのは、この〈問題〉をある相において捉えるならば、そこには普遍的な構造があり、われわれも既にその構造の中に含まれてしまっているということである。そしてここにおいて初めて、原典を読むことと、世界史と、われわれが現実に直面している問題とが、一続きのものとして理解されるのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です