『原典黙示録』第16回(7/11) 講義録

『原典黙示録』第16回 講義録

田中大

今回の講義でまず主題となったのは、共産主義である。現代史を正しく理解するためには、この思想とその信奉者たちが歴史の中で演じた役割を正確に捉えねばならない。

スターリンが一国社会主義論を唱え、社会主義の大国ソ連がその方針に沿って歩んだとはいえ、共産主義とは本質的に無国籍的な思想である。日本を含む多くの資本主義国においても、共産主義者は暗躍していた。冷戦終結後に公開されたソ連スパイ暗号電文の解読文書である『ヴェノナ文書』の研究は、その実態を明らかにしつつある。

また、日本においてこの思想は、特に戦後に大きなうねりを巻き起こすことになるわけだが、こうしたイデオロギーの嵐の時代に、記述論は『氷河紀』という凛冽たる季節の果実として最初の実を結んだのだった。私は、その誕生の消息を辿るために、敗戦直後の時期に書かれた詩などをしばしば読む。そしてそのたびに私は、当時を生きた人々の、いかなる表現においてもイデオロギー的な政治性がやむにやまれず滲み出る文体を前にして、慄然たる思いに駆られる。強烈な怒りを湛えながら、それでいてどこか虚ろな鈍い暗さの差す彼らの目は、認識するためではなく、極度に純化された理想を映し出すために見開かれていたのかもしれない。

イデオローグにとって、「聖典」以外の書物は即座に焚書せねばならぬものである。そして「聖典」の思想を反映しない事物は即座に破壊せねばならぬものである。彼らが、その善意によって「正しさ」に忠実であろうとする限り。

講義の中でふと先生が言った。曰く、思想とは人の声を聴くことである、と。教室に据え付けられたいくつもの本棚に並ぶ書物たちは、常に互いに会話をしているのだ、と。私は先生のこれらの言葉に、いかなる思想家を前にしても気怖じせぬ気魄と、それでいて全く隙のない正確な精神と、そして何よりイデオローグには及びもつかぬ鷹揚な構えを、見て取った。そのとき、古今の蟹行鳥跡が一堂に会するこの奇跡的な空間に、記述論が掬い出した〈自由〉が体現されているように思われた。

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