『原典黙示録』第17回(7/18) 講義録

『原典黙示録』第17回 講義録

田中大

これまでの講義の中で明らかにされてきたように、『プラハの墓地』という小説にはさまざまな仕掛けが施されている。著者の該博な知識に裏付けられた歴史の間隙を見事に縫うような物語、『源氏物語』を想起させる屈折した語りの構造、そして物語storyにメタ的な層を生じさせる筋plotとして手記の形式で提示される本文……。このテクストを理解するためには、一般的な小説を単に読むという行為とは本質的に異なる〈読み〉が要求される。では、エーコがそこまでして描きたかったものとは一体何であるのか。

現代は一種の思想的な内戦状態にあると先生は言う。戦後、日本人はイデオロギーの氾濫の中で翻弄され続けてきた。今回の講義ではフーヴァー大統領の回顧録『裏切られた自由』Freedom Betrayedが参照されたが、前回の講義で紹介された『ヴェノナ文書』も含めて、これらの新たに公開された史料を読み解き、誠実な歴史研究を行うことは、こうしたイデオロギーを解体していくために必要不可欠な営みとなる。

体裁ばかり整えられた理論によって相手を服従させるイデオローグたちによって、自由な精神は強く抑圧されている。このような状況の中で我々がよく生きるためには、こうしたイデオロギーの仕掛けを見破り、それらに対して正しい態度決定をなす必要がある。エーコが残した〈メタ・ノン・フィクション〉は、こうした仕掛けを見破るための手掛かりを与えてくれるものであり、そうしたことを正確に論じるために彼はこの上なく慎重を期して記述したのであった。そして膨大な原典を参照しつつなされる先生の〈読み〉によって、その手掛かりは極めて実践的な知として浮かび上がり、我々は毎回の講義においてそれを確かに聞き取るのである。テクストの読解が現実の実践と一続きのものであるということ、このことが逆説としてではなく、直截的な論理として理解される地平こそ、〈記述論〉に他ならない。

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