講義紹介 2017/08/05(土)

101回目となる世界史講義、今回は〈世界史〉というものをいかに考えるか、という問題が焦点となりました。筆者は折悪しく、100回記念となる前週には学会発表のため台湾におりましたが、しかしなにか折り返し地点を経て再び世界に向かうのだ、というその展望が開かれたような具合です。この世界史講義は思うに、いわゆる「世界史」を総ざらいするというより、〈世界史〉とは何か、というそのアプローチの方法の実演である、というように思われます。

具体的に今回登場したものを挙げると、ケルズの書やリンディスファーンの福音書が印象的です。これらの壮麗な書物がなぜ取り上げられたかというと、それは〈世界史〉を考えるために、ローマ帝国の外というものを見ておかねばならないからです。この辺りを理解するための案内として、富沢霊岸『イギリス中性史』、レジーヌ・ペルヌー著、福本秀子訳『王妃アリエノール・ダキテーヌ』が紹介されました。ヨーロッパのキリスト教世界の形成は、ローマ帝国だけを見ていては理解できず、その外との関連を押さえておく必要があります。またヨーロッパの歴史が〈世界史〉となるためには、東からの勢力によって西ローマ帝国が崩壊するということがあったのであり、これを理解するために中央ユーラシアのことを押さえておかなければならない。この点がいままでの講義で取り上げられてきたのでした。

〈世界史〉に向かうにあたり今回強調された点は、「各国史」が未だ成立しない以前の歴史にどうアプローチするか、ということです。これに対する答えですが、「宗教地政学を理解せねばならない」というのが原典世界史の立場です。その内実は引き続き講義の中で明らかにされる(そしてこれまで明らかにされてきた)と思われます。さしあたり筆者の心に残った点を書き留めておきます。それは、〈世界史〉のうちには複数の聖典があるが、それらの〈読み方〉が相互に適用可能ではない(そしてこの事情こそが〈世界史〉を構成しているのでしょう)ということであり、それらを読みうるようにするのが記述論という方法である、ということです。

もうしばらく「ユーラシア」という問題に取り組むことになりそうですが、その後には仏教に突入する予定です。

(宮田)

 

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