『原典黙示録』第23回 講義録
田中大
『シオン長老の議定書』という憎悪の書を主題とする作品である『プラハの墓地』について論じてきた本講義であるけれども、陰惨な話題が続いたということで、今回の講義の冒頭では先生の懇意により、C・ハーメル著『世界で最も美しい12の写本』を導きの糸としつつ、原典所蔵の瑰麗なる写本関係書籍を賞玩した。中でも白眉は『ケルズの書』であった。Bernard Meehan , The Book of Kellsなどの図版が参照されたが、本書は「世界で最も美しい書」の名に恥じず、あたかも敬虔なる人間の美しい信仰が天使の技を介して一冊の書物に受肉したかのようであった。
こうした眼福にあずかったあとで、本題である。マルクス主義を理解せずに『プラハの墓地』の舞台となった19世紀以降の世界を論じることはできない。この思想は、弁証法的唯物論という言葉によって特徴づけられる。これはいかなる意味であるか。マルクスの思想の根源は無論ヘーゲルであるが、マルクス主義はヘーゲル左派の系譜に位置付けられる。ヘーゲルの門下生たちが形成していたヘーゲル学派は、同学派に属するD・シュトラウスによるキリスト教正統派神学批判の書『イエスの生涯』Das Leben Jesuへの評価をめぐって分裂が決定的となり、右派・左派に分派する。このうち左派がよりラディカルなヘーゲル批判を通して唯物論を唱えるようになっていくのだが、このヘーゲル左派において最も有名な論者がフォイエルバッハである――講義においては、彼の著作『近世哲学史』Geschichte der neuern Philosophie von Bacon von Verulam bis Benedikt Spinozaが参照された――。彼のスタティックな唯物論的思想に本来のヘーゲル哲学がもっていた弁証法的なダイナミズムを再導入したのがマルクスであって、こうして成立したのが弁証法的唯物論である。こうして成立した弁証法的唯物論は強烈なイデオロギーとして、彼らの「科学」によって肯定されるブルジョアジーに対する憎悪を原動力として、世界を席巻することになる。
こうして混迷を極める世界情勢を背景として、『プラハの墓地』の物語は展開する。前回の講義において明らかにされたのはシモーネ・シモニーニとダッラ・ピッコラとの関係がフロイトの夢分析を土台としたものであるということであったが、今回先生が指摘したのは、こうした「夢分析」の舞台となるこの作品そのものがあたかも夢のような曖昧さをもつということである。そしてシモニーニの二重人格が治るとその曖昧さは霧のように晴れてゆき、同時に物語は終局へ向かう。そしてこの物語は彼の爆死を暗示する場面でふっつりと終わりを迎える。あたかも夢から覚めるように。
そして先生は次のように指摘する。この夢のような物語が終わった後に、読者の中に真実として唯一残されるのは、本作に登場する人物たちの原動力である憎しみである。そしてこれが示すのは、人間の感情だけはどのような理性をもった人間であっても凡庸だということである。しかし、現代という時代は――先生の指摘するように、特に平成30年間においては――一部の人々は人間の感情を摩滅させようとする方向に傾いていった。しかし、感情をいくら抑圧したところで感情は消えないのである。これは感情を抑圧しようとする人間でさえも感情に駆られてそれをしていることが示していよう。
感情とは大地に根差した人間の存在の一契機であり、そのあり方の根源的表出である。これこそが知性の力の源泉であって、そしてその知性でもってこの表出を表現にまで――すなわち〈言葉〉にまで――高めるような仕方で仕上げることこそ、人生と呼ぶに値する生き方をするためにわれわれに必要なことなのである。